2008年4月30日水曜日

人を癒す不思議な絵



 「この絵を見て、どんな思いを抱きますか?」

 この絵を見て、僕の中でパッと浮かんだのは、恥ずかしい話だが、「なんだか泣きたくなるなぁ」というちょっと困った感情だった。


 竹炭に人生をかける70を過ぎたかなり風変わりなおじいさんから僕はこの絵をいただいた。

 この絵は見る人によっては不思議な効果をもたらすらしい。

 九州大学助手で工学博士の高尾征治さんは「友人、知人にコピーして配りまくったところ、余命いくばくもないガン患者さんの命は延び、別の方の下腹部のシコリが消えるなどなど・・・。不思議現象のオンパレード!」なのだと自分の近くで起こった奇跡の数々を話している。

 たとえ、なんにも奇跡を起こさなくても、ちょっとひとときの目の保養をと思い・・・添付しておきました。

 僕の身の回りでは携帯電話の待ち受け画面にしたいという人がとても多かったので、もし壁紙やプリントするなど必要な方がいらっしゃれば、メールで画像データをお送りいたしますので、上記のメールアドレスまでご一報くださればと思います。

怒ってくれる人に感謝しよう

 
 今でもめでたい時には「松竹梅」が用いられるように、日本人にとって「松」は昔から貴重な木だった。
 しかし、近年は恐ろしい速さでこの松の木が枯れている。しかも、全国各地で起こっているのだ。

 原因は、一般的には「松くい虫による被害」だといわれている。
 だが、先日参加した講演会で「松枯れ」の原因は松くい虫にあるのではないという話を聞いた。
 「松くい虫は昔からいるのだから、それだけが原因ではないことは明白だ」としたうえで、その人は、
 「昔は『松は日本の心だ』などともてはやされていたが一般建築用に木材として使われなくなった現在では放置されまったく「無視」されている。松はその心変わりを許せないと思っている」
 と述べた。

 僕はそれを聞いて、得心するところがあった。

 松に限らず、植物は人の言葉や思いを理解するようで、身近な観葉植物でも感謝の言葉、やさしい言葉で愛でているとスクスクと順調に成長するが、
 怒ったり、どなったり、意地悪な、乱暴な言葉を投げかけていると成長が目に見えて遅くなる。
 しかし、乱暴な言葉以上に深刻なダメージを受けて、植物が枯れてしまう行為がある。
 
 「無視」し続けることである。


 仏教の世界で、もっとも厳しい罰は同じく「無視」である。
 これはお釈迦様が生きていたころから存在した罰で、ある弟子が罪を起こし、お釈迦さまから「無視の罰」が下された瞬間、その場で卒倒したという記述も残っている。
 当時は、今以上に人との結びつきが強く、生活するうえでも人との関わりなしに生きていくことが困難な時代であっただろうから今とは比にならない「重罰」であったことが想像できる。
 

 だから、「怒ってもらえること」はまだまだありがたいのである。

 ただし、お釈迦様は「怒ること」が人としてもっとも良くないことであると忠告している。
 だから、「怒られる方」はいいが、「怒る方」は結構ツライ。
 自分がせっかく感謝し、やさしいことを続けて積み上げてきたそれまでの「徳」が、怒った瞬間にガラガラと音をたてて崩れていくのだ。

  自分のことを怒ってくれる人には感謝しよう。

 そして、怒ったらどうなるかを知って、その人のために、これ以降、怒らせないようにしてあげようと思いやるようにしよう。

2008年4月27日日曜日

鹿島神宮に導かれて「和合」の参拝

 「鹿島神宮にとうとう呼ばれたんだ」と思うと前夜は珍しくなかなか寝つけなかった。

 近所で仲良くしている二回り年上のおじさんと飲みながら、
 「鹿島神宮に行こう」
 と約束を交わしてからそろそろ2年になろうとしていた。
 それ以外の約束はほとんどすべて果たされているし、年末や夏祭りなどで顔を合わせて一緒に愉快に飲んでいるのだが、「鹿島神宮行き」だけはどうしてもうまく息が合わない。
 おじさんの親族の人が鹿島神宮の境内で茶屋を営んでいて、「いつでも行けそうなものなのに、時間が合わせられずに悪いね」とおじさんは言うが、おじさんが悪いなんてこれっぽっちも僕は思っていない。

 行けない理由は実は僕の方にあるということに僕はすでに感づいている。

 昨年から仕事で関わりができた会社の部長が訪ねてきて、
 「ようやくご紹介できる準備が整いましたので、鹿嶋市までお越し頂けませんか」と切り出してきた。
 「そうですか、わかりました」と返事をしながら、心の中で僕は、
 「ようやく鹿島神宮に呼ばれた」と少し緊張気味につぶやいていた。

 
 鹿島神宮は茨城県鹿嶋市にある長き伝統のある神社で、祭神は、武門の神様
 「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」である。
 この神様は日本の神話で非常に重要な役まわりをする神様として登場する。
 天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて、出雲の国に国譲りを求めに行くのだ。

 出雲の国の主である大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りのことを伝えると、大国主命はすんなりとその命に服したが、大国主命の長男である「建御名方神(たけみなかたのかみ)」が国譲りに断固反対する。
 それでは、武力で勝負を決めようということになり、武甕槌大神と建御名方神が戦うことになる。
 しかし、武甕槌大神の強さは圧倒的で、建御名方神は負けてしまい、その場から逃走する。
 武甕槌大神はその後を追い建御名方神は結局、(現在の長野県の)諏訪まで逃れ、その地に王国を築く。そして、諏訪大社の祭神となるのである。

 僕の氏神様はこの「建御名方神」(鹿児島の南方神社)である。
 だから、「鹿島神宮行き」は、時が訪れるまでは期待しても気を焦らせても、叶うことはできないんだろうな、とどこかで確信めいた予感があった。

 でも、いつかは「和合(和解)」のための「導き」がきっとあると願い、心待ちにしていた。
 
 だから、鹿嶋市での仕事の話が持ちかけられた時には心からうれしかった。

 東京駅八重洲口を8時半に出発するバスに乗り、鹿嶋に向かった。
 鹿嶋までは約1時間半ほどで到着する。

 鹿島神宮はすこぶる社格の高い神社と言われてい通り、一歩足を踏み込むと誰もがその荘厳な落ち着きのある独特の雰囲気を感じることができるだろう。

 平日の午前中の境内には2、3組の参拝者しか見かけない。
 境内には巨木の並木があり、音がどこかに吸い取られているような静けさが辺りを包んでいる。


 まずは本殿を参拝する。

 「お導きいただき、ありがとうございます」と思いを伝える。

 巨木の参道を進み、奥宮にも詣る(写真には人も一緒に写っているので比較してもらいたい)。

 さらにその奥に進むと「要石」や清水が豊かに湧き出る池があると案内されていたが、仕事の約束の時間に間に合わなくなるのでそこまでで引き戻す。

 友人のイトウさんが先日、鹿島神宮を訪れ、双方を見てきて良き場所だったそうなので、次の機会には必ず訪れたいと思っている。

 戻る途中で、持ってきた写経を6枚、巨木の根本に埋めさせていただき、般若心経を3回唱える。

 僕にとってこの参拝は、魂の「和合(融合)」を授けられたような喜びと幸福にあふれたものとなった。感謝の参拝でもあった。世界の大きな流れが「和合」へと進んでいってほしいと願った。

2008年4月24日木曜日

「晴れ女」「晴れ男」になる方法


 職場の後輩と飲んでいると、今現在、彼女を募集していてなんとか良い人と巡り会いたいんだが、どう見分ければいいのだろうかというようなことを訊ねられた。
 そんな方法があるのなら僕の方が教わりたいぐらいだが、
 頭の中にパッと浮かんだことがあった。

 「『晴れ女』を選んだらいい」という言葉だった。

 僕はビールしか飲んでいないのでまだ平気だったが、ワインを飲んでいる後輩は結構酔っているようだったので僕はその通りを後輩に伝えた。
 すると、「えっ」と声をあげてポカンとした表情を浮かべた。

 「晴れ女(男)」「雨女(男)」とは、デートとか旅行とか、運動会とか、キャンプとか、屋外での試合とか、プロポーズをする日とか、結婚式とか、普段より大事なことがある日に、よく晴れる人(「晴れ女」)、逆に雨がよく降る人(「雨女」)のことで、たいがいは過去の経験から自分がどちらなのかわかっているはずである。

 この大事なことがある時によく晴れる人「晴れ女(男)」と、よく雨が降る人「雨女(雨男)」は、実は偶然にそうなっているのではない。

 「晴れ女(男)」は、樹木や草花など自然から応援されているから天気が良くなるのである。
 樹木、草花は天気を司る「空」と密接につながっている。
 さらには自然霊を中心とした霊体の後押しもあるので晴れるわけだが、ここでは説明がややこしくなるので「自然に愛される」という表現にしておこう。
 自然に愛されている人は、本当によく晴れる。
 つい今まで雨が降っていたのに、その人が現れるとその行く先がモーゼが海を割るように、どんどん晴れ間をつくっていくような人を僕は何人か知っている。
 【厳密には、大事な日、祝いの日に晴れてもらいたいと思うから晴れるのであって、願う方向が違うとその方向が叶うということである。「晴れは良い」「雨が悪い」という意味ではない】


 ということで、逆の「雨女」「雨男」は、もうおわかりだと思うが、自然に応援されていない人である。

 パートナーを選ぶとしたらどちからの方が良いか、それは人それぞれだとは思うが、「自然から愛されている人」の方が良いという人がやっぱり多いのではないだろうか。

 「雨女」「雨男」には共通点がある。
 天気に不平不満、愚痴、悪口を言うということである。
 「なんだ、今日も雨か~」
 「曇り続きで、なんだかスカッとしないなぁ」
 「あ~、暑くてしょうがない、どうかなんないのかね、この暑さは」などなど。

 かなり寛容な「自然」でもこんな人には意地悪は絶対にしないが、さすがに応援まではしてくれない。
「勝手にどうぞ」って感じである。

 でも、心配ご無用。
 「雨女」「雨男」の呪いが一生続くことはない。
 「晴れ女」「晴れ男」になりたいとの思いがあるなら誰でもなれる。
 しかも、その方法はとっても簡単。

 「天気に感謝する言葉を口にする」ことである。

 「うわぁー、朝からお日様ギラギラで真夏らしい天気だな~、これは洗濯物が良く乾くぞ、5,6回は余裕でいける!ありがとう」
 「雨がたくさん降ってるな~、これは木々や植物も大喜びだろうなぁ~、草木の声が聞きたいよ、オレも替わりに言っておこう、お天気さん、ありがとう」 
 「風がすごいなぁ。うまく傘も差せないぐらいだ。これは空気の汚れやホコリをきれいにはらってくれているんだろうな、どうもありがとう」などなど。

 理由は自分が思ったことであればなんでもいいからきちんと褒めて、感謝する。

 それと合わせて前述した樹木、草花に対しても
 「元気」「おはよう」「こんにちは」「キレイだね」「元気そうだね」「いつもありがとう」
と声をかけてあげるとなおさら効果的だ。
 草木は人に話しかけられると、本当に喜ぶらしく、自分に関わってくれる人には「この人のためならなんでもしてあげたい」と思うのだそうだ。世界中の草木とネットワークで結ばれているから応援してもらえるようになると大変心強い存在となる。

 以上、これを続けていけば、間違いなく誰でも「晴れ女」「晴れ男」になれる。

 ここからは余談。後輩に誘われて初めて訪れたイタリアレストランには実は前の日にも後輩は来ていたことがわかった。この店で働いている女性のひとりが気に入っているということも本人が白状した。
 どの女の子なのか教えてもらい、拝見させてもらうと聡明そうで美しい女性だった。
 後輩はそのお気に入りの女性が近くにくるのを待ち、飲み物のお代わりを注文した。オーダーを確認した彼女に後輩は早速こう切り出した。
 「あなたは晴れ女ですか、雨女ですか」

 彼女は素敵な笑顔を浮かべ、
 「昔は雨女でしたが、今は晴れ女です」と答え、「失礼します」と再び笑顔を残し、その場を後にした。

 後輩は聞けたことでとてもご満悦の様子だったが、僕には考えることがあった。
 「雨女」から「晴れ女」に変わるには相応の理由がある。大抵は良き出会いがきっかけで、心が穏やかに豊かになるからというケースが多い。そして若き頃の「良き出会い」の多くが「恋愛」であるということも多々あることである。
 出会いとは異なり、彼女自身の気づきで「晴れ女」になったのだとしたら、容姿良く、心根まで良くなった女性を誰が放っておくだろう。
 そして、もう1点気になったのは、かなり風変わりな質問をしたにもかかわらず、「どうしてそんなこと聞くんですか?」といった言葉も表情もなかったことだ。笑顔はサイコーでの受け答えだったが、よく観察すると他のお客さんに対してもまったく同じ魅力的な笑顔だった。

 彼女は、来月の15日から新装開店する六本木店に移動するらしい。
 その日にお祝いの花束を持っていくのだと気合いを入れる後輩の今後の健闘を心から祈り、駅で握手して別れた。

 僕は電車に揺られながら、ふと思った。
 
 うっかり聞きもらしたが、後輩は果たして「晴れ男」なのだろうか、それとも「雨男」なのだろうかと。

サンクスセミナーに感謝!



 お客様への感謝の気持ちを表すために職場で企画した「サンクスセミナー」の第1回を東京・秋葉原で開催した。
 喜んでもらえる、楽しんでもらえる、少しでも貢献できる、と吟味のうえ判断した企画をセミナー形式で提案していくという趣旨だ。

 企画者として開催に先立ち、あいさつする。
 2年前に僕個人としては会社内部の意識改革のきっかけになればと思い提案した「感謝」のタネが時間をかけて芽を出し、社外に向けて具体的な取り組みにまで発展したことに、「なんだか、やっぱりつながっているのかなー」とちょっと感慨深かさが胸に広がった。

 終了後は丸の内の新丸ビルの7階で軽く打ち上げ。
 ついこの間オープンから1年を迎えたが、ここの展望はサイコー!
 皇居を臨んでいると雲がパッと切れ、お日様がサーチライトのように皇居の森にまっすぐに差し込む。
日が沈むまで春風に当たりながらしばらくデッキでビールを飲む。
 「あ~、今日は格別にうまい!」と感謝のつぶやきがもれた。

2008年4月22日火曜日

テレビを観ない日々

 この1ヶ月ほど我が家ではテレビをほとんど観ない日々が続いている。
 暴君は必ずギロチンにされたり、毒を盛られたりする定めで人生がかなりつらそうなので、僕は家族みんなに意見を聞くことにした。
 不満はそれぞれあるようだったが、きちんと理由を説明して納得してもらい、「1日に2時間以内」とする“時間制限令“を晴れて宣言することができた。
 当然、僕が帰宅する頃には制限時間をすでに使い切っているので、僕はテレビを観ることはない。

 なぜ、テレビを観ないことにしようと提案したのかというと、ニュースやワイドショーなどテレビからもたらせる情報に「ネガティブ」なものが圧倒的に多すぎるからだ。
 最近は、ますますひどくなっているように僕には思える。
 その一方でここ半年の間には、ネガティブな情報はネガティブな現実を引き寄せる(叶える)という危険信号が僕のもとにさまざまな方面からやってきた。「シンクロだな」と感じるのでその知らせを大切にしてテレビの視聴を「制限」することにさせてもらうことにしたのだ。

 かつて為政者によるプロパガンダの世界では大衆を「衆愚化」させるには3S(スポーツ、セックス、スクリーン)が有効であると言われたことがあったが、日本そして世界は戦争と人殺しと罵倒と不愉快と不機嫌と怒りと哀しみで構築されていると思わせるような情報が洪水のように押し寄せている。
 凶悪、悲惨、グロテスクを備えた情報にランキングをつけて、もっともひどい情報から順番に流しているようにしか見えない。
 それを知り、人々が哀しみ、恐れ、怒り、同情することで世界は良い方向に変わっていくのだろうか。 
 子供たちの目に映るこの世界はどのような受け止められ方をされているのだろうか。

 もし、身近に現代のテレビのように、口を開けば不幸な言葉を発し、心を開けば不平不満、愚痴、陰口、悪口、不満に暗く満ちた思いを持ち続けている人がいたら、僕は絶対にその人のそばに近寄らないだろう。
 テレビと同じ日本語を使い、すがすがしくて、聞いていると心がパッと明るくなって魅力的なことをしゃべる人だっている。だったらこの人とずっと会っていたいと多くの人が思うはずだ。

 テレビを見ることに制限をつけてから、家に帰り、服を脱ぎ、リラックスした瞬間、自分の手にテレビのリモコンをにぎって電源をオンにしようとすることがこれまで2度ほどあった。
 こうした「悪しき習慣」に気づかされただけでも、僕にとっては大変ありがたき、きっかけとなっている。

2008年4月20日日曜日

「穀雨」と「座布団」

 今日は「穀雨(こくう)」。
 春の雨が穀物の発芽を促す時期の始まりを告げる日である。

 関東地方は昨日までずっと雨だったけど今朝は曇り空で雨はない。昨日までのうちに「穀雨」が訪れてくれていたのかもしれない。

 近所の街路樹のイチョウの木もここ数日の間に、小指ぐらいの大きさの葉っぱがたくさん芽吹いていてかわいい。

 今夜は満月でもある。


 今日は、座布団のカバーを買い換える予定。

 座布団は座る人と周囲との間の「結界」の役割をする大切なもの。
四方と真ん中についている5つの房は神社の神主がお祓(はら)いに使う祓え串や大麻(おおぬさ)と同じ意味があり、「厄祓い」の力を持っている。

 座布団を使う際に気をつけなくてはいけない点がひとつある。
 座布団のフトンを中に入れるための縫い口部分を人に向けて置いてはいけないということ。
 これは、「(向けた人と)縁が切れる」と昔の人は言い伝えている。
 くれぐれもおかしな使い方はしないようご注意を。

2008年4月19日土曜日

ジョン・アーヴィングが小説を書き続ける理由


 ジョン・アーヴィングの「ピギー・スニードを救う話」を読んだ。

 前回、アーヴィングの作品を読んだのはいつのことだったろうかと思い、記憶をさかのぼってみると、1987年に「サイダーハウス・ルール」の単行本を読み、それから気の遠くなるほど待ちに待った「オウエンのために祈りを」が12年ぶりに出たはいいけど上巻を読んでガッカリして投げ出して以来だから実に9年ぶりであることがわかった。
 ということはちゃんと読んで作品から数えると実に21年ぶりになるんだと知ったらなんだか驚きを超えて、感傷的な気分にさえなった。

 アーヴィング作品の魅力にどっぷりと漬かっていた頃があった。
 まだ若く甘酸っぱい希望に満ちていたその頃の僕は、彼のユーモアと哀しみが入り交じる物語性の濃い文体を基軸に、登場人物が不幸に見舞われ人生に翻弄されながらも強く前向きにたくましく生きていく作品の多くに魅力された。

 「ガープの世界」「ホテル・ニューハンプシャー」「熊を放つ」「158ポンドの結婚」「ウォーターメソッドマン」そして「サイダーハウス・ルール」――は3年ぐらいの間に日本で出版され、僕は本屋に通い、次々と読んでいった。

 最後に読んだ、「サイダーハウス・ルール」で主人公が、屋根の上から遠くに建つ夜の観覧車を眺めるシーンは、夜、自宅に帰る電車の中から見える葛西臨海公園の観覧車を見ながら思い出すことさえある。

 その間には映画化された作品もあり、幾度も劇場に足を運んだ。
 映画の中で僕が一番好きなのは「ホテル・ニューハンプシャー」だ。
 主演のジョディ・フォスターは若くしなやかで、弟役のロブ・ロウも若さあふれて美しく、ナスターシャ・キンスキー、マシュー・モーディンが脇を固めながらもグッと輝いていた。

 暗闇の劇場に腰掛けてみている僕自身も、スクリーンの中の彼らと同じように若く多感だったこともこの作品を選んだ理由に間違いなくなっていることだろうから、誰かに客観的にお薦めする上ではあまり当てにならないかもしれない。

 今回、読んだ「ピギー・スエードを救う話」はアーヴィング唯一の短編&エッセイ集である。
 表題の「ピギー・・・」はピギー・スエードという名の頭の弱い豚飼いと“私”<アーヴィング>の物語である。
 ピギーはすさまじい体臭を放ち、会話もできない町の笑い者である。
 ある日、そんなピギーの豚小屋が火災になり、ピギーは姿を消す。
 “私”は消火を終え、灰塵と化した現場を眺めながら、ピギーはこんな田舎町を捨ててフロリダに旅立ったんだ」「会話ができなかったのもヨーロッパ人だったためで自分の国に帰ったんだ」と大声で仲間に伝えようとする。
 でも、しばらくすると消防隊長が焼け跡から死体を発見し、「おい、アーヴィング、おまえはピギーがヨーロッパにいるという説だから、この何やらを引っ張り出すくらい平気だよな」と“私”に現実を突きつける。

 アーヴィングはこの作品の最後に、自分が作家としてなぜ書き続けているのかについて、祖母との会話に返答する形で、こう結んでいる。


 「おやおや、ジョニー。だからスニードさんが生きてた時分に、もうちょっと人間らしい扱いをしてやっていれば、そんな面倒くさいことをしなくてもよかったろうに」
 それができなかった私は、いまにして考える。作家の仕事は、ピギー・スニードに火をつけて、それを救おうとすることだ。何度も何度も。いつまでも。
 僕は久しぶりに彼の作品に巡り会った理由がこの一節を知るためにあったのだと直感した。

「雨の日はのんびり」が叶った一日

 今朝は朝から雨で空を眺めながら「のんびり、じっくりいきなさいということなのだろう」と思い、そう口にしていたら、速やかに叶った。

 乗っていた電車が舞浜を過ぎて、葛西臨海公園のホームに入ろうとしたところ、社内に車掌の声で「風速25キロを超える強風となっているため葛西臨海公園駅で緊急停車いたします。お急ぎのところ誠に申し訳ありません」というアナウンスが流れた。

 それを聞いた瞬間、右側のスーツを着た60歳ぐらいのおじさんが「なんだよ、まいったな~」と言い、その後も「アッタマくるよな」「せめて(隣駅の)新木場まで行ってくれよ」とブツブツ言っていたが、僕はまさか乗っている電車で止まり「ゆっくりする」ことになるなんて滅多にないことだと思ったので、「ほんとに叶ってしまったよ」とちょっと感動しながら、「これはツイてる」と実感した。

 あとはどんなに心配したり、愚痴を言ったって電車が動き出すことはないのだから、本を読むことにした。
 普段は停車をしている時には開いている扉がアナウンスでの断りがあった後、閉められた社内には激しい雨がパタパタと窓を打つ音以外はとっても静かだった。本から顔を上げると立っている人を含めてほとんどの人が無言のままで携帯電話をいじったり、窓の外を見ていた。その頃は右横のおじさんも観念したのか静かにしていた。

 ”お陰様”で停車してた30分ほどで昨日から読み始めた本を読み終わると、まるでそれを待ってくれたかのように電車は隣の新木場駅まで走ることになったとアナウンスが流れた。電車はこわごわとジョギングをするぐらいのゆっくりとしたスピードで再び走り出した。
 新木場から先はしばらく走るメドが立っていないということなので、振り替え輸送の有楽町線に乗りかえ、職場に向かった。

 最寄りの駅に着くとあんなに激しかった風雨がピタリとおさまり、雨が上がっていた。

 職場に入っていくと、「電車でゆっくりできて良かったですね」と“お陰様”の後輩が言った。
 
 「お陰様~、朝から叶ったんだよ」と言うと、不思議そうな表情で「えっ」と言った。

2008年4月18日金曜日

冷房が「低体温症」を引き起こす

 エアコンが「低体温症」を招くという話を先日、都内で開かれた講演で聞き、興味を持った。
 女性、特に若い女性に「低体温症」が増えており、身近にも何人かいる。

 講師を務めたのは住宅アドバイザーの善養寺幸子さん(オーガニックテーブル㈱社長)。
 日本のエアコン文化はまだわずか30年ほど。暖房の歴史は長年あったわけだが冷房の歴史はきわめて短い。
 夏場、冷房によって部屋の内部が冷やされる。
 すると人間の身体というのはおもしろいもので、季節が夏ではないと判断し、身体自体をごまかすようになるのだという。
 その結果、汗線機能が次第に働かなくなっていくというからおそろしい。
 その後、身体は、体内の熱を抑えて代謝を落として調整するようになり、「低体温症」を引き起こす。

 善養寺さんは「汗腺も骨折時の筋肉と一緒できちんと汗をかかなくなると体温調整ができなくなり、低体温症になる」と話す。
 また、代謝が低くなり、カロリー消耗が低くなるために「メタボリック・シンドローム」にもつながっていくというのだから、女性ならずとも気になる。

 国がクールビズに続いて、メタボ対策に動いているが、このふたつのこと、意外なところでつながっていたといえる。国はそんなつもりは意図していなかったと思うけど。

 「低体温症」は細胞がガンになる原因のひとつにもなっていると言われる。
 いずれにしても、住宅の環境が健康に大きく影響を及ぼしているのは確かだ。

 日本の人々は、約30年の冷房の経験を生かして、「汗をかくことの大切さ」をもう一度考える時が来ているのかもしれない。

 今年の夏は冷房の利用方法をしっかりと考えていこうと思う。

2008年4月17日木曜日

「レインボータウンエフエム放送」を訪問



 今日は午後から東京・江東区木場のFMスタジオ「レインボータウンエフエム放送」を訪れる。
 パソナリティー「DJキノポップ」ことチーフ・プロデューサーの木下和則さんと会う。
 女優で声優の石井春花さんが訪れて、急きょCMの音声入れになったりして「キノポップ」はかなり忙しそう。
 石井さんは聡明そうな印象のままの仕事っぷりで、10分ほどでCM入れを完了。

 東京エリアのコミュニティーFMの中ではリスナーはかなり多いようでyahooのランキングでもコミュニティーFM分野ではトップだからなかなかのものである。

 活動は多岐にわたり、数年前から行っているボランティア活動について今回は話を聞く。

 レインボータウンエフエムでは数年前から、フィリピンに「歯ブラシ」を送っている。
 なんで歯ブラシを?と思う人も多いと思うが、フィリピンでは歯ブラシが高価な生活用品で、一個買うお金で家族4人が1回の食事ができるのだそうだ。
 だから、慢性的に子供達に歯ブラシはまわらないことになり、そのため近年は虫歯になる子供が増えている。しかも貧しいために治療ができないために痛みに辛抱できず無理やりに抜いてしまう子供も数多くいるのだそうだ。

 こうした実態を知った群馬県の歯医者さんからの呼びかけにレインボータウンエフエムが賛同して、放送で「歯ブラシ」の寄付をリスナーに呼びかけることにした。
 すると数万本単位で歯ブラシが届けられるようになり、これをまとめてフィリピンの子供たちに寄付しているのだ。

 お金を送って現地で買ってもらえばいいじゃないかという意見もあったが、お金だと歯ブラシになって子供たちの手に届かないという事情もあり、すべて現物による寄付になっているそうだ。
 それぞれの国の事情があるのだろうが、子供たちの虫歯が減り、痛い思いをすることが少なくなるのであれば寄付の方法など今はどうでもいい。

 毎年2月にフィリピンに送っているようなので、来年はぜひ皆さんのご協力をよろしくお願いします!

 この取り組みを広く知っていただけるよう会社で協力するかわりに、レインボータウンエフエムさんにはうちの職場で行っているエコ活動を番組中で取り上げてもらうということになった。

 持ちつ持たれつでありがたいことである。毎日公開放送しているそうだが、観覧しているとこの世界もなかなかおもしろそう!

 レインボータウンエフエム http://www.792fm.com/

南天を植える、飾る



 観葉植物にはいろんな種類があるが、「南天(なんてん)」を植えるととっても良いらしい。
 

 その家に、福を呼び込むのだ。


 昔から言われていることで「南天」は、“難を転じる”と言われ、信じられている。
 

 言霊(ことだま)、音霊の力への畏敬もそこには見える。

 玄関や気になる場所に飾るだけでも同じ効果があるらしいので、楽しみながらやりたい。
 

 赤飯の中に入っていることもあるし、とっても「おめでたい」樹木でもある。

2008年4月16日水曜日

睡眠は夜10時~午前2時までの間にする

 今日のシンクロは「睡眠時間」のことだった。

 1ヶ月ほど前にインドの伝統的な医学「アーユルヴェーダ医学」の本を読んでいると「夜10時から夜中の2時までの間のみに身体を癒すホルモンが出る。それも深く眠っている時にしか出ない」という記述があり、強く記憶に残っていた。

 すると、今日、風水の世界の話を聞いていると
 「夜10時から午前2時までの間に1時間でもかかるように寝るようにしましょう」という話が出てきた。
 この時間帯は身体同様に運気の新陳代謝も高まるのだそうだ。

 心身の再生のためにはこの時間帯の睡眠をまずは心がけるといいようだ。

「お疲れ様です」「ご苦労様です」から「お陰様です」に変更

 
 職場の後輩達と久しぶりに飲み、話題が言葉の話になったので、先日このブログでも書いた「お陰様」の話をすると、後輩のひとりが「『お疲れ様です』と言われるのも、言うのもなんかしっくりこないところがあったんですが、『お陰様です』はいいですね~」と言いだして盛り上がった。

 その翌日から後輩達から送られてくるメールの書き出しが一斉に「お陰様です」になった。
 
 今ではすっかり馴染んでしまっているのだからおもしろい。

 始まりはいつも「お陰様」・・・

 このことを一番喜んでいるのは、気がついてくれた彼らのお陰様(守護霊様)なのではないかと僕は思う。

映画「逃亡くそたわけ」の知林ヶ島は美しかった



 映画「逃亡くそたわけ」のDVDが11日に発売されたので早速、観た。

 原作は絲山秋子さんで、福岡の精神病院を脱走した大学生「花ちゃん」と名古屋出身なのに標準語しか話さない「なごやん」がおんぼろ車で鹿児島に向けて逃走しながら出会い、苦悩、葛藤、心の交流などが繰り広げられる青春ロードムービーだ。

 印象的なシーンは、宮崎を出て、鹿児島に向かう途中でうつ病の花ちゃんが逃げることをやめて、自分の中にいる6人の多重人格と向き合う。 “壁”を突破した花ちゃんの頭の中から6人が去ったのち、なごやんに向けて花の口から出た言葉は「ありがとう」だったところだ。

 そして我が故郷・指宿(いぶすき)へ。
 
 潮が引くと島へとたどりつける“海の道”が現れていく「知林ヶ島」の場面はなんと空撮!(きっと低予算なのに奮発してくれました)

 白い砂浜が清められていて青い海とのコントラストが美しかった。

 長崎鼻から見える薩摩富士「開聞岳」のシーンはもう少し作り込んで「世界の果て」感を伝えて欲しかった。

 映画の出来映えについては、「う~ん」といったところ。

 多くの人に「知林ヶ島」を通じて指宿のことを知ってもらいたいけど、原作を読んで興味がわいたら観てくださいという感じかな。

2008年4月14日月曜日

オフィス街で疲れた人々を癒してくれている「虎ノ門・金刀比羅宮」


 
 「虎ノ門のこんぴら様」と呼ばれている東京・港区の金刀比羅宮(ことひらぐう)を訪れる。
 オフィス街の真ん中にある神社で、境内にはスーツ姿の人が仕事の合間にちょっと立ち寄って休憩って感じで携帯で話していたり、喫煙したりしている。
 まあ、 僕もそんなうちのひとりに見えるのかもしれないんだけど・・・。

 こちらの御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)
 崇徳天皇(すとくてんのう)
 の二柱。

 大物主神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)の和魂(にぎみたま)にあたる神様で、記紀神話によれば、国造りの神様であった少彦名神(すくなひこなのかみ)が事を為す前に立ち去られたため大国主神が嘆いていたところ、海の彼方から波間を照らして光輝きながら現れた神様があり、大国主神がその名を尋ねられると、「あなたの和魂です」と答えられた。その神様が大物主神であった。

 大物主神は、国造りの神様として、大和の三諸山(三輪山)にお祀りされた神様で、後に 和光同塵 (わこうどうじん)の御神意をもって讃岐国の金刀比羅宮(本宮)に顕現されました。『日本書紀』では大国主神の異称として、『古事記』では大国主神の 和魂 (にぎみたま)として記されている。

 崇徳天皇は鳥羽天皇の皇子で、保安四年(1123年)に第75代の天皇として即位され、永治元年(1141年)に上皇となられた。
 保元元年(1156年)の保元の乱の厄により讃岐国へ遷られ、その後も讃岐国で過ごされた崇徳天皇は、象頭山中腹に鎮座する金刀比羅宮(本宮)を日夜崇敬なさった。長寛二年(1164年)に崩御される前年には参籠し、荒行をなされたと伝えられている。
 46歳で崩御された翌年の永万元年(1165年)、その不遇な生涯と崇敬の篤さを偲び、金刀比羅宮(本宮)の相殿にお祀りされることとなったそうだ。

 虎ノ門・金刀比羅宮の御神徳は「海上安全」と「商売繁盛」と記されている。

 また、大物主神は「運を開く神様」とも言われているので、とっても頼もしい。

 お願いごとはしてはいけないので、こうして元気に立ち寄ることが叶い、お会いできたことを感謝する。

 お詣りして境内をあとにしてわかったのだが、立錐の余地なくビルが立ち並ぶ周囲とまったくこの地は「気」が異なる。

 「つかの間立ち寄る疲れた人々を癒していただいてありがとうございます」と次回はお礼にうかがいたいと思った。

2008年4月11日金曜日

米国大使館の「おびえ」

 米国大使館に仕事で久しぶりに行ったが、セキュリティーがものすごく厳しくなっていることに驚いた。
 事前に登録しているにもかかわらず、携帯電話をはじめカメラなどの電子機器類は一切中には持ち込めず、ボディチャックの上、すべてが預かりとされた。

 先月はカナダ大使館にも行ったが、こんなにガチガチには厳しくなかったし、これほど徹底的にやっているのは米国大使館だけだと思う。
 これもテロ対策なのだろうが、玄関前の警視庁の警察官は誰彼構わず近づく者には「何ですか」「どうしたんですか」と声をかけているし、中のガードマンも全員、顔がこわばっている。
 あまりに過剰すぎて、大使館全体が「おびえている」ようにさえ感じられた。正義を自認する国の施設のあるべき姿とは遠くかけ離れていた。
 建物を後にしながら、「外からもう一度自分の行いを見つめ直す時期にきているのかもしれないのではありませんか」と胸のうちで思った。

外国人が不思議がる日本の無人野菜販売店

 今日は、商社でのキャリアを生かし外国人の方々にボランティアで日本語の講師をしている方と昼食をご一緒し、おもしろい話をうかがった。
 田舎に行くと今も見かけるが、道路沿いの小屋に野菜が並べられ欲しい人はその分のお金を小箱に入れていく無人の売店がある。
 農家の方との会合で、かつては野菜の数と箱に入れられたお金の勘定がぴったりだったが、ここ最近は6~7割とお金が足りなくなっているのだということを聞いたそうだ。
 残念なことだと二人して言い合っていると、
 この無人野菜売店が外国人からみるととっても不思議な光景らしいという話になった。
 人がいないところに野菜が置かれ、さらにはお金まで置かれているなんて仕組みは、なかなか海外ではお目にかかれないらしい。そういう発想は生まれないらしい。
 授業では、「うーん、自分の国では野菜もお金も両方ともなくなるな」との意見もあがったそうで、限りなく日本のみで通用する仕組みだと皆が口をそろえて言っていたそうだ。

 まあ、外国もそんな国、人ばかりではないだろうが、日本には人が見ていないところでの善意がまだまだ残されているということなのだろう。

 いろいろ問題山積の社会情勢だが、日本人もまんざらではないと、自分が褒められたように妙にうれしい気持ちにさせられる話だった。ありがたいことである。

2008年4月10日木曜日

「御蔭様」に感謝します

 「おかげさま(御蔭様)です」という言葉ある。
 この御蔭様とは守護霊のことである。
 だから、誰にでも御蔭様がついている。

 御蔭様は、“ナビゲーター”の役割も担っているので、良き出会いやためになる情報に出会う時も「おかげさま」なのである。
 でも、さすがに御蔭様の存在を意識していない人、大切にしていない人、「おかげさま」と言うことのない人には、「御蔭様」の力は当然ながら及ばない。

 「おかげさま」と言うと相手の御蔭様が喜び、自分の御蔭様も喜ぶ。ふたり顔を合わせながらニッコリとしている姿は微笑ましい。

 今日もなにごともなく無事に過ごせた。

 「御蔭様」に感謝します。

2008年4月9日水曜日

新学期の始まりに写経を埋める


 長男の新学期が始まった。
 しばらくは早い時間で下校できるようで春休み気分が続いていて楽しそう。
 
 夕方、僕も早く帰ってこれたので、一緒に校庭に「写経」埋めにいく。
 ずいぶん前のことだが、毎年、子供たちのケガが多い学校があり、写経を校庭内に埋めるとその年からピタリとケガをする子供がなくなったという話を写経をやっている方から直接、うかがって以来、地元の幼稚園、小学校で機会をみて写経を埋めてきた。
 おかげさまで長男本人も無事で、学校での大過も聞かない。

 長男が小さなスコップで木の根もとに穴を掘り、そこに6枚の写経を埋める。
 般若心経を3回唱える。それだけである。
 これで、学校の子供たちの事故がなくなるならこんなにうれしいことはない。
 学校で学ぶ子供たちみんなの1年の無事を祈る。

2008年4月8日火曜日

4月8日は「灌仏会」


 今日は「灌仏会(かんぶつえ)」。お釈迦様の誕生日である。

 関東地方の天気は朝から雨。遠くでは雷の音まで聞こえてくる。

 古くからの言い伝えでは、お釈迦様が生まれた日もやはり雨が降っていた。
 でも、この季節特有の冷たい雨ではなく、産湯として甘くて温かい「甘露」の雨が降っていたそうだ。
 地には花々が咲き乱れてお釈迦様の誕生を祝い、空には龍が現れ・・・と、かなりすごいことになっていたそうだ。

 お釈迦様は生まれるとすぐに、東西南北の四方に向かってそれぞれ七歩踏みだし、右手で天を、左手で地を差して
 「天上天下唯我独尊=てんじょうてんげゆいがどくそん」と言った。
 「私は世界のうちで最高のものである。私は世界のうちでもっとも優れたものである」というような意味であるが、正しい理解は、「やがてブッダ(覚者)になって人々を苦の世界から救う存在となるから尊い」ということである。
 ちなみに、「ブッダ」というとお釈迦様を思い浮かべる人が多いと思うが、実はそうではない。
ブッダの教えを聞き実践するものはかならずブッダになることができると言われ、かかわるすべての人にブッダになるチャンスがあるのである。

 今日、お寺に行くと花々を飾った「花まつり」が行われている。
 境内には右手で天を差し、左手で地を差したお釈迦様の仏像があり、甘茶をひしゃくでかけて祈ることができるように用意されているはずだ。
 これらは生誕時に起こった奇跡に由来したものだ。
 それぞれにすべて意味があるということである。

 「花まつり」はお釈迦様の生誕を祝うとともに、子供の健康を祝い、祈る行事でもある。

 昨日は、生花ではなく、久しぶりに鉢植えの花を買ってみた。

 ささやかな「花まつり」気分である。

2008年4月7日月曜日

「200年住宅」が動き出す

 国の住宅政策の目玉で、福田首相の肝いりで始まった「200年住宅」がようやく動き出す。
 「100年住宅」がすでに登録商標として押さえられていたためにつけられた滑稽なネーミングも今でも「長期優良住宅」と呼ばれるようになった。

 今月の半ばからこの「長期優良住宅」のモデル事業としては1回目となるノミネート募集が始まる。
 これに応募するつもりの建築業者の知人から協力を求められ、僕もこの一週間ほど、国土交通省、正確には審査委員に提出するための資料づくりに明け暮れていた。
 ようやく今日の夕方に知人に送ることができたので、ひとまずホッとした。
 手直しは一部あるだろうが、あとは、審査の正否に臨むだけだ。
 ビジネスの世界では、1回目での認定取得には大いなる価値がある。
 資本力に富んだ大手ハウスメーカーはこぞって応募し認定を取得していくだろうが、中小のビルダーは戦う前から情報戦で敗れ、数えるほどであろう。
 そのなかで、中小として気を吐こうというのだから俄然、燃える。

 中小の業者からは「まだよく分かんないし、面倒そうだ」と不評の「長期優良住宅」だが、消費者の反応はそれとはまったくの逆をいく。
 それはそうだろう。国が住宅にお墨付きを与え、現時点ではまだそこまで確約していないものの、近い将来には、中古住宅市場まで充実させて、従来10年ほどで資産価値ゼロの住宅が、「長期優良住宅」を建てておけば、100年経っても資産価値は変わらないか、もしかしたら上がっているなんてことまで国主導で目指しているのである。
 しかも、これから数年間は「長期優良住宅」を建てる消費者にはたっぷりと助成金までつく。

 知人の建築業者がここ数ヶ月にコツコツと約60人にアンケートした結果、9割の人が「建てられるんなら200年住宅を建てたい」と答えたという。

 「まだよくわかんないし、面倒そうだ」と参加者のうち9割が言っているという業界グループの講演会で講師を頼まれている。その日も近づき、そろそろ話す内容をまとめなくてはならない。
 一度は断ったが、こうなったのも何かの縁なのだろう。目を覚まさせた方がいいのか、眠ったままの方が幸せなのか、まずはそこから決めなくてはなるまい。

高千穂と磯庭園

 鹿児島に暮らす妹とその旦那さんが宮崎の高千穂を先週土曜日に訪れた。
 僕は今、行きたい場所が「高千穂」と「宮古島」なので、ふたりが高千穂に行けると知ってとてもうれしかった。
 妹は先月、夢の中に高千穂の神様が出現し「高千穂に行ってみたい」と旦那さんに話していたら、福岡に住む霊能者の知人から旦那さんに電話があり、「あなたのことを高千穂峡の神が呼んでるけど、なにか言われてない?」と訊かれて驚き、急きょ土曜日に高千穂地峡を訪れることにしたというちょっとした不思議な経緯もあった。

 その夜、テレビをつけると宮崎県知事の東国原さんが出演しており、美輪明宏さんから「天孫降臨の地である高千穂に人々の意識を向けされるためにあなたは宮崎に導かれ、知事になったのよ」と言われているのを見て、これは何のシンクロなんだろうと考えさせられると共に、いま、宮崎はかなりいろんな意味で熱いんだな、と実感した。

 また、この日の午後は、鹿児島県で一、二の気の良い場所は「(仙巌園=せんがんえん)」であると教わった。
 「仙巌園」ってどこにあるんだろうと調べたら何て事はない「磯庭園」だった。鹿児島では「磯庭園」が通り名である。僕が離れているうちに今では「センガンエン」と呼ぶようになったのだろうか。

 磯庭園は、薩摩藩の藩主だった島津家の別邸で、幕末には島津斉彬公が建てた「集成館」もこの地にあった。
 桜島、錦江湾をもっとも美しく眺めることができる景勝の地でもある。

 高千穂、磯庭園・・・、のんびりと良き気に囲まれて、癒しのひとときを送りたいものである。

2008年4月6日日曜日

「掃除」で悟りをひらいたチューラパンタカ

 お寺の修行で大切なことはさまざまあるが、お経を読む「勤行(ごんぎょう)」と同じぐらい、もしかしたらそれ以上に大切だとされているのが「掃除」である。

 お釈迦様とひとりの弟子との間には、この「掃除」に関する物語があり、そのため「掃除」が後生の仏徒の心の中に色濃く残り「掃除」が大切にされているのかもしれない。

 また、日本の八百万(やおよろず)の神様は、大好きな人間の行為が二つあるといわれている。
 ひとつが「先祖供養」、
 もうひとつが「清め」、いわゆる「掃除」である。
 こうした伝統文化、風土の国なので、この物語が言い伝えられ、今もなお残り、語り継がれているのだろう。


 お釈迦様のお弟子の一人にチューラパンタカ(周利槃特=しゅりはんどく)という人がいた。
 お兄さんのマハーパンタカは大変に頭脳明晰だったが、チューラパンタカは生まれつきの愚鈍で、仏の一句を4ヶ月かかっても暗記することができなかった。

 一人前の修行僧にしようと面倒をみてきた兄のマハーパンタカも、ある日ついに我慢できなくなり、祇園精舎から弟を追い出してしまった。

 途方に一人、しょんぼり立っているいチューラパンタカに気づいたのは、お釈迦さまだった。

 お釈迦さまはチューラパンタカを自分の精舎に連れ帰り、一本の箒(ほうき)を与え、次のように教えた。
 「チューラパンタカよ、ここに残っていいんだよ。これからは東の方に向かい、“チリを払い、垢を除かん”と言いながら掃除をしなさい」。
 チューラパンタカは言われたとおり、この日から太陽を仰ぎ見ながら、この一句を唱え掃除を始めた。

 ある日のこと「なぜ、あなたはいつも掃除ばかりしているのだ」と訊ねられたチューラパンタカは修行僧にこう言った。
 「私は性来、愚鈍でモノを覚えることができないものですから皆さんのように多くを知りません。
 しかし、たったこのひとつだけを覚えて、そのわけを習い、実行しております」

 このことを聞いたお釈迦さまは近くにいる修行僧たちに、こう説かれたという。

 「悟りを開くということは、決して多くのことを覚えることではありません。
 たとえ、僅かなことでも、それに徹底しさえすればよいのです。
 見てごらん、チューラパンタカは、箒一本で掃除することに徹底して、悟りを開いたのです」

 愚鈍で人々の笑い者であった者でも、一途にちりを拾い、アカを落とすというひとつの務めを一心に続けていく行為の奥にあるひたむきさ、誠実さが、”悟り”にまでたどり着かせるというお釈迦さまと弟子との有名な物語である。

2008年4月5日土曜日

「字のない葉書」と夜の観覧車

 昨日の夕方、銀座線に乗っているとメールがきた。
 一週間前に一緒に飲んだ友人からで、内容は
 「向田邦子さんのタイトルは何だったかな?」というものだった。

 僕は、「眠る盃、字のない葉書」と打って、虎ノ門駅に電車が入り電波が立つタイミングで返事した。

 彼は書店から連絡していたらしく、5分もしないうちに
 「見つかった。読んでみる」と再びメールがきた。

 「良かった。感想を待つ」と僕も送った。

 それから3時間ほど経った。
 京葉線の葛西臨海公園駅は、夜早い時間だと右手に見える日本でもっとも大きな観覧車が色とりどりにライトアップされた美しい姿を見ることができる。その観覧車を眺めている時に届いた先ほどの友人からのメールにはこう書かれていた。

 「わずか4頁に泣かされた。でも、とても気分が良い」

 夜の観覧車を見ながら、「字のない葉書」に魅入られた読者が今夜またひとり増えたなと思うとうれしくなった。

2008年4月4日金曜日

糖尿病には「クマヤナギ」

 新年度が始まったので職場近くの神社仏閣、お地蔵さんを詣(まい)ってきたら、早速御利益が天から舞い降りてきたのだろう、家に帰ってパソコンを見ると茨城・水戸の赤荻先生からメールをいただいた。
 ブログで父が糖尿病であることを書いていたのを読んでくださっていて、
 「治療法の『調合薬草の摂取」』同感です。西洋医学の方では民間治療を認めませんが、人間は自然 の生き物です。自然界の中に何か治癒する物があると思っています」
 と述べられたうえで、
 「くまやなぎ」が糖尿病に効果があると教えてくださっていた。

 「くまやなぎ」という植物は初めて耳にする名称だった。村上春樹の小説に「めくらやなぎと眠る女」という作品があったのを思い出したが「くまやなぎ」なんて聞いたことがない。
 ネットで調べてみると木々に巻き付く蔓(つる)状の植物らしい。薬草の部類なので注文をネットでするのは気が進まず、自分の足で探すことにする。

 翌日、朝一の仕事を終えた町で探すが薬局さえ見あたらない。「秋葉原」だから当たり前なのかもしれない。チェーン店の薬局があったが予想通り置いていなかった。サプリメントコーナーにももちろんなかった。

 ここ数年外人がものすごく増えた秋葉原を後にして、深川・門前仲町に戻る。
 ここには、鹿児島・屋久島の名薬「恵命我神散(けいめいがしんさん)」を買いに行く薬局があるのでまっすぐにそこに向かう。

 「『くまやなぎ』、ありますか」と訊ねると
 「くまやなぎ?」という明らかに聞いたことないよって表情の返事。
 老舗の薬局にもないということなので、さて、どうしたものかと思案する。そうするとふと思いつくところがあり、それが昨日参拝した永代寺さんの隣にある漢方薬専門店。入って訊ねてみると、「はい、はい」って感じで店主はすぐに棚の中に入っている袋詰めの「くまやなぎ」を持ってくる。

 「どうやって飲めばいいですかね」と訊ねと、逆に驚きの表情で
 「えっ、初めてですか」と言われた。
 さっきまで「くまやなぎ?」の連続だったのに、場所が違うと知らない方が驚かれるのだから、やはり世の中おもしろい。

 「くまやなぎ」は、やかんに入れて、お茶のように煎じて飲めばいいらしい。
 お茶代わりに何杯呑んでもいいけど、注意点は人肌ぐらいでもいいので「温めて(熱くして)飲む」ことと言われた。

 「くまやなぎ」と共に、再び永代寺さんに知り得たお礼と、父の体調回復を祈願する。

 今回の「くまやなぎ」との出会いは神社、お寺の「導き」があったように強く感じ、そうしたご縁で手元に訪れたこの「くまやなぎ」はもしかしたら霊験あらたかなものかもしれないと父親に電話で言うと笑って「ありがとう」と言われた。

 それもこれも赤荻先生のおかげで“親孝行”までさせていただいた。心より感謝、感謝である。

2008年4月3日木曜日

「しました+感謝しま~す!」が俄然、好調!


 願いごとを叶える魔法の言葉「(完了形で)~しました。感謝しま~す!」の効果が俄然、好調のようで、昨日は立て続けに4つのうれしい話が舞い込んできた。いっぺんに4つはさすがにシンクロでしょ、これは!

 まずは、公私ともにお世話になっている建築業界の社長さんの奥様。1年半ほど前にこの「魔法の言葉」をご主人を通じて知ることとなり、すぐに実践されたところ次々に願いごとが叶うと大変喜んでいただいていた。
 数日前は、運転ミスで消火栓に車をぶつけてしまった瞬間、無意識に口をついて出た言葉が「ありがとうございます!」だった。
 「悪いことがあってもすぐに『ありがとう』」と言うと、悪いことは最小限で済み、そこで悪いことの流れは断ち切れる」という効果があることをご存知で実践されたのだ。
 ご主人によると事後処理はこんなに簡単に済んでいいのかしら、と思うほどスムーズだったらしい。奥様にケガもなく、ほんとに何より、何より。完全に言葉の使い方をマスターされていることもすばらしい!

 次に妹がお世話になっている鹿児島にいらっしゃる女性。この人は「魔法の言葉」を使っている人の中で、僕が知る限り効果の大きさ、即効性ともにベスト3に入る“使い手”である。
 妹が日帰り旅行に行き、先日お土産を持ってお宅を訪ねると、ご主人が出てきて「あいつは、この間、またまた感謝しま~すで、旅行が当たってね、今、一泊で遊びに行っているよ」とのこと。
 まだまだ効果は続いているのか~、すごい、いったい何回旅行が当たってるんだ~!

 旅行といえば、昨日が出発だった友人も「魔法の言葉」の即効性ではベスト3のひとり。こうした大きな願いごとをすばやく叶える人は何か特別なものを持っているような気がする。いや間違いなくそうなのだろう。なぜなのか、これからその答えを少しずつでも解明していきたい。

 最後に、これは僕の妹のご主人の出来事。先日、車のボンネットで手帳に書き込んでから、車に乗る際、手帳を取りながら扉を閉めた瞬間、自分の指を一本残したままになっていた。
 ビシッと扉の重みが一本の指に伝わった瞬間、義弟は「ありがとうございます」と大声をあげたそうだ。
 しばらくすると指の爪は真っ黒になってきた。それなのに、義弟によると痛みは「ほとんどなかった」とのこと。回復も本人がびっくりするほど早いそうで、安心した。
 困った時、嫌な時の「ありがとう」パワー、恐るべし。

 宇宙の法則では、「ありがとう」と言うと、しばらくすると「ありがとう」と再び言ってしまう現象が目の前に起こる。
 逆もまた然り。だから不幸なことにあって、不幸の言葉を吐く人は、ずっと不幸に見舞われる。

 うれしい時、ありがたいと思った時、「ありがとう」は誰でも言える。
 つらく、苦しく、困り、腹がった立った時こそ、「ありがとう」なのだろう。
 その瞬間、その悪い流れは流れ星のようにスッと消えてしまうのである。
 
 ※写真は書店でプレゼントしてもらった「ありがとうマーク」を今年の手帳に貼り付けて「感謝手帳」をつくってみました。

2008年4月1日火曜日

新年度明けの神社仏閣巡り

 今日から4月新年度が明けたので時間をみて、昼食時に職場近くの神社仏閣を巡った。
 ここ数日の雨空とは打ってかわって抜けるような春の青空。少し風が強いけど日だまりは暖かい。
 青空を見上げていると桜の花びらが風に乗って仲の良い男女のように並んで舞っていた。

 まずは、先日このブログでも紹介した永代寺さんに向かうとちょうど縁日が開かれていて、多くの参拝者でにぎわっている。にぎわいの顔ぶれをみるとその多くはお年寄りで、平均年齢は確実に「70(歳)オーバー」だ。

 余談だが、人の多い東京の昼間に表を歩く上で大切なことは「焦らずゆっくり歩くこと」だと僕は思っている。
 なぜなら、朝のラッシュ時にはほぼ皆無だが、昼間はこの東京下町の深川・門前仲町に限らず、電車の中でも道路でもお年寄りがとっても多いからだ。
 お年寄りはどうしても動作がゆっくりしているので、朝のペースで電車の乗り降り、歩道の歩行をしているとお年寄りとぶつかりそうになってしまう(ぶつかっている人もたまに見かける)。
 朝のままのトップ・ギアで昼間に突入すると気持ちがイライラするだろうから、昼間出かける時には「ギアチェンジ」をしてお年寄りのペースに合わせて「気持ちをゆっくり、穏やかに」しようと最初から心がけたほうが精神安定上、賢いと僕は思う。そういうお年寄り対応のスタイルが少しずつでもいいので若者の間に広がってほしいものだと思う。
 これからは少子高齢化がますます進むからなおさらである。

 永代寺さん詣りに話を戻す。まずは本尊の「歓喜天様」に手を合わせ、お地蔵さんにも詣る。
 いつもの「真言3回→住所→名前→ありがとう」である。
 今回は、初めて写真を撮らせていただく。
 「失礼致します。ありがとうございます」 と断りを入れてから。



 次は「お不動さん」。
 不動明王様(大日如来様)にお詣りを済ませてから、先日、ご紹介した関東随一の気の良い場所といわれる童子像あたりをのんびりと歩く。


 「富岡八幡宮」はそこから歩いて3分の距離だ。
 新年度を迎えたためか笛太古のBGMが境内に流れて、平日の昼間なのになんだかにぎやかな感じだ。地元の企業が、新入社員のお祓(はら)いでもやっているのかもしれない。


 八幡さまの敷地内にある「七渡神社(七渡弁天)」にも詣る。
 八幡さまの地主神・地主弁天とも呼ばれ、富岡八幡宮より前からお祀りされていたといわれている。

 とっても小さい神社だが、八幡さまに来ると必ずここにも立ち寄る。近くには澄んでいない池があり、ここには数多くの亀が暮らしている。清水ではなく少し濁った水だからこそ亀は心地よく暮らすことができるのであろう。




 八幡さまの境内に戻り、帰ろうとすると今日は、日本一大きな神輿(みこし)がガラス扉を開けて観覧できるようにしていた。
 覗いてみると、禰宜(ねぎ)の監視つきだが手で触れられそうなぐらい近くで神輿を見ることができる。
 初めて見たらしいおばさまたちが「おっきいー!」と驚きの声をあげていてにぎやかだ。
 この神輿は、佐川急便が全盛期の時に制作費を寄付してつくられたもので、費用は1億円ともいわれている。でも、重すぎて動かせないという注文付きの神輿である。
 隣にやや小振りだけど、それでも普通の神輿と比べると2回りぐらい大きい神輿があり、これは3年に一度、地元の氏子さんたちが夏祭りで法被(はっぴ)に半股引もしくは褌(ふんどし)、足袋姿で担ぎ、町を練り歩く。
 2年前の夏は声をかけていただき僕も担がせてもらった。終わると肩の皮はむけて痛むし、足腰もふらつくが職場のある場所の神様を担がせてもらった厳かさと達成感は他のことで味わえない一種特別なものがあった。
 
 池波正太郎の名著「鬼平犯科帳」の中でもちょくちょくここ深川・門前仲町が物語の舞台として登場する。
 この町の春は江戸の頃からさほど変わっていないのではないかと思わせるぐらい穏やかにゆったりと流れていく。

ガストン・ネサン博士のもうひとつの発見

 フランス人の生物学者ガストン・ネサン氏はガンをはじめさまざまな病気の治療に効果を発揮する微小生物「ソマチッド」を発見した人物だ。

 ソマチッドは活性化すると人の免疫力を劇的に高めてくれることから、ウイルスなどの病原菌を撃退し、副作用等の弊害なく健康体を維持できることになる。

 ネサン博士の発見はもうひとつあり、
 人が精神的に落ち込んだり、腹を立てたり、不平不満を持ったり、ネガティブになると正常のサイクルが崩れて、バクテリアや細菌に似た形態のソマチッド・サイクルが現れる。
 それに対して、人が感謝や喜びといったポジティブな意識を持つと、ソマチッドが増えて、そのサイクルも改善されるということだった。

 このことは、科学の世界からも「人は自らの意志で病気を作り上げてしまっている」ということが示されているといえる。