2008年3月30日日曜日

神社のこと【氏神様「南方神社」】


 日本人には必ず自分の「氏神様」がいる。
 僕の氏神様は、「南方(みなかた)神社」という社(やしろ)である。
 鹿児島県の南の端にある小さな町の小さな地区にひっそりとある小さな神社だ。
 普段は宮司さんもいない。お守り、お札を売る売店もない。帰省すると僕は必ずあいさつにうかがっているが他の参拝者と顔を合わせたことはこれまで一度としてない・・・、そんな神社である。

 小さい頃は季節の節目、節目で神社を身近に感じることがいろいろとあった。
 まずは正月。他の家庭もそうしているとこともあると思うが、
 「新年は身も心も清めて」という意識が強かったのか幼い頃は下着を新調して新年を迎えさせられた。家族みんなで顔を合わせてお屠蘇(とそ)を年少のものから順に飲み、雑煮を食べ、もちろんお年玉をもらって、ひと心地ついてから初詣に神社へと向かう。
 地元の隣町には立派な構えの「開聞(かいもん)神社」があり、こちらの方が圧倒的に有名だった。駐車場から本殿の手前まで向かう道には明るく華やかな露天が無数に立ち並び、子供心にも心躍り、ここの神社が立派であるということはよくわかっていた。
 でも、年の初めに最初にごあいさつに行くのはやっぱり氏神様である「南方神社」からだった。
 なぜなら、ここが「氏神様」だったからだ。

 本格的な夏が近づく7月には「六月橙(どう)」と呼ばれる夏祭りが行われた。
 普段は殺風景な境内にもこの日ばかりは、地域の住民が思い思いに絵や文字を書いた手作りの提灯がずらりと並び、露天も出てくる。
 お囃子の音が遠くから聞こえてくる夕暮れ時、普段なら家に帰ってくる日没の時間に親からおこずかいをもらい友達と出歩けられるその夜は一年のうちでも楽しみでしかたなかった特別な日だった。

 余談なだ、こうした祭りや大晦日など特別な日以外は、夜の神社の参拝していけないといわれている。
 夜は「神様の時間」とされているからだ。だから人々の参拝はお天道様があるうちにすませる。夜、お願い事をするのは、ワラ人形を下げて訪れる“特別なお願いの人”に限るのである。

 それ以外にも細かい作法をあげると、
 鳥居をくぐる時は入るときも出るときもその下で頭を下げる。神様の結界内に入るわけだからお断りするためで、人の敷地に入るのと同じことである。

 鳥居をくぐる時からなるべく真ん中は避けて歩かないようにすることも作法のひとつ。
 これは鳥居から本殿までの真ん中のスペースは神様たちが歩くスペースになっているからである。だから、参拝する時は、右でも左でもいいので真ん中を少しはずしたところを歩く。

 南方神社に話を戻す。3年に一度、「神舞(かんめ)」という神事が行われていた。和服に鬼のような面をかぶった人々が、白、赤、青、黄色など色とりどりの長い髪を振り乱し笛太古で踊りながら地域内を練り歩く。
 小さな子供が元気になるということで親がその踊り手に抱いてもらう風習もあって、この異形の踊り手が子供にいつも近づいてくる。これが小さいながらに恐ろしく、今もなお鮮烈に記憶に残っている。
 親にとってはこの子供達の記憶が好都合で、子供が言うことを聞かないと、「そんなに言うことをきかないでいると、カンメが来るからね」とおどしに使った。これが何よりも怖く、効き目絶大だった。

 今では、当時怖がっていた子供達が親になり、自分の子供に対して「言うことを聞かないとカンメがくるぞ~」と脅して言うことを聞かせているのだろう。
 これもまた「よき地域文化の継承」なのである。

 氏神様がいつでも地域の人々(氏子)を慈愛の思いを抱きながら見守り、励ましてくれている。
 僕は、出張で知らない町を訪れる時は、できるだけ時間をつくってその町の氏神様を詣(もう)でるよう心がけている。
 そうしながら感じることのひとつは、「氏神様を大切にしていない町は急激にか緩やかにかは別にして、間違いなく“衰えていく”」ということだ。
 氏神様のいま置かれている状況が、その町の未来の行く末を占う“バロメーター”になるのだ。

 自分の町の『氏神様』は大切にされているかどうか、たまにはふらりと訪ねてみるのもいいかもしれない。

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