2008年3月1日土曜日

お金は「入口」より「出口」を考えると入ってくる法則を持つ

 ここ数日、「お布施(ふせ)」のことが頭に浮かび、あれこれ考えていた矢先、本を読んでいると、この「お布施」という文字が目にポンと飛び込んできた。その瞬間、「おっ、これはシンクロ現象だな」とすぐにわかった。「僕にいったい何を伝えにきたんだろう」と注意して読んでみると、
 お金の話だった。
 
 お釈迦様や弟子たちは「喜捨(きしゃ)」によって生活していた。喜捨とはお布施、人々からの施しのことである。
 お釈迦様は弟子が喜捨を人々から受ける「托鉢(たくはつ)を始めるに当たって、
 「お金持ちの家を訪ねてはならない。貧しい人の家をまわりなさい」とおっしゃった。
 てっきりお金持ちの家をまわるものと考えていた弟子はそれを聞いて驚き、その理由を訊ねると
 「貧しい人はこれまで自分が貧しいからという理由に縛られて他人に施しをしてこなかった人たちである。それゆえに貧しさという苦界の中に沈んでいた。私たちが喜捨をいただくのはその貧しい人たちを苦界から救うためなのです」との答えが返ってきた。
 「喜捨」はお金が余っているから出すのではなく、まず先に生活に支障のないくらいのお金を出す。そうして相手に喜んでいただくとことで、結果として自分にも返ってくるようになっているということをお釈迦様はおっしゃっているのだ。
 「長者の万灯(ばんとう)より、貧者の一灯」という言葉の通り、一万円のゆとりのある人が、その中から千円出すのと、千円のゆとりのしかない人が工面して百円出すのでは、同じ一割でも百円の方が尊い、とお釈迦様は言っている。
 人は誰もがこの世に生まれた時には息を吐いて産声をあげる。そして亡くなる時に「息を引き取る」というように息を吸ってこの世を去る。お金も同様で、多くの人々が通常、「入り」のことばかりを悩み考えるが、実は「出る」方をどうのように考え、実践していくかが大切なのだそうだ。

 「投げかけたものが帰ってくる」これが宇宙の法則である。
 「感謝します」と言葉にして言うとしばらくすると、再び自分の口」で「感謝します」と言ってしまう現象が目の前に現れるのと同じ理屈である。悪口や愚痴、不平不満も同じなので、かなり怖いのですが・・・・
 喜捨、お布施とは本来、そういう種類の役割を持つものだったらしいのである。
 まあ、僕のお布施も“尊い”方の「貧者の一灯」になるのは確実なので、天気も良いし神社にでも足を運ぶとしよう。

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