2008年2月29日金曜日

「すべてがあなたにちょうどいい」

 昨日お願いしたばかりの「お地蔵さん効果」はすごいもので、今日は一日、昨日までと比べて鼻の調子がずっと良くなった。
 「お地蔵さん、ありがとうございます」。

 今日知って「ああ、いいな、なるほどな」と思った言葉は、
 お釈迦さまの言葉だという
 「すべてがあなたにちょうどいい」。


 身の回りの人、物事、環境に愚痴や悪口、泣き言、不平不満を言いたくなったら、
 または、言っている人がいたら、

 今のあなたに今の夫がちょうどいい
 今のあなたに今の妻がちょうどいい
 今のあなたに今の父母がちょうどいい
 今のあなたに今の子供がちょうどいい
 今のあなたに今の友人がちょうどいい
 今のあなたに今の彼がちょうどいい
 今のあなたに今の彼女がちょうどいい
 今のあなたに今の職場がちょうどいい
 ・・・・・・・・・・・・・なんだそうだ。

 「すべてが自分にちょうどいいのだ」。

 一緒になって悪口、愚痴を言っていたことを今日から言わないことにする。そうすると周りの人たちと波動が異なってくるので、友人が変わる。その人たちとは疎遠になって、悪口、愚痴を言わない人が寄ってきて新しい仲間ができあがる。
 それが「自分が変わった」ということなのだそうである。

答えをいつでも示してくれる不思議なシンクロ現象

 心理学者のカール・ユングが唱えた「シンクロニシティ(共時性)」という現象がある(再結成して先日、来日したポリスにもこのタイトルの曲があったなぁ)。
 いくつかの出来事が思いがけず意味を持って同時に起きることをそう呼ぶ。
 このことを「宇宙からのメッセージ」「神の啓示」「無限のつながり」と呼ぶ人がいる。また、「サイン」と呼ぶ人もいる。
 このなんらかのメッセージを含んだサインは、特別な人にのみ起こるのではなく、誰にでも平等に起こる現象である。
 どちらにしようか迷った時、これをやろうと決意した時、不安で押しつぶされそうな時、困った時、その人にとって必要な背中を押すメッセージが届けられる。
 どこに届けられるのかというと、街の中で突然会った知らない人との会話、テレビやラジオから流れる言葉、あるいは看板や広告、ポスター、車のナンバープレート、周囲の他人の会話のやりとりから漏れ聞こえてきた言葉、友人から久しぶりにかかってきた電話、メールの内容などを見たり、聞いたり、遭遇するところに記されている。
 それは、少しだけ心落ち着けて注意しておくだけで、“自分だけがわかる意味”を偶然の一致(偶然ではないのですが)のような現象をとって「それでいいんだよ」「それで大丈夫だよ」「心配しなくていいよ」と教えて手助けしてくれる。
 そうやって気を配ってみると、周囲のさまざまなものが自分をたえず見守り、応援してくれているんだということを知ることができる。

お地蔵さん、ありがとう

 昨日は職場の近くのお寺に寄ったら、月に2度ある縁日の日で普段の5倍ぐらいの人手でにぎわっていた。
 といってもその7、8割は年輩の女性たちである。 そんな年輩女性に紛れ込んで、古いお地蔵さんのいるお寺に入る。参拝者は線香の束やロウソクを買って備えたりしながら熱心にお祈りしている。
 僕も少し風邪気味だったせいでここ1週間ほど鼻の調子が悪く、仕事にも支障が出てきそうなのでお地蔵さんにお願いをさせていただくことにする。
 前にも書いたけど、お地蔵さんは人々の願い事を聞いて叶えてあげるために、神世に持っていってくれる役割を自ら担ってくれているといわれる。ただし、お願い事をする場合は100年以上歳月を経たお地蔵さんに限るというふうに聞いたこともあるのでご注意を。

 お地蔵さんの真言である「おんかかび さんまえいそわか」を3回唱え、自分の住所と名前を言って自己紹介し、お願い事を伝えるというシンプルなものだ。
 でも、でもお昼にお願いして、夕方にはこの1週間食べ物の味もわからないぐらいひどかったのに、鼻が次第に通りはじめ、今はとっても楽になっている。あんまりお願い事にはいかないから早速ご加護があったのか、単なる気のせいなのか。真相は別にして、久しぶりに良く眠れてこうして早く目覚めることができてうれしい。
 「お地蔵さん、どうもありがとうございました」

「難は植物で防げ」

 風水第4弾。
 もうそろそろ風水ネタも佳境に入ってきたけど、今回は「植物」のことについて。
 風水では「難は植物で防げ」と言われるほど、植物を多用し、重要な役割を担う。
 樹木は大地(陰の気)に根を張り、天(陽の気)に向かって伸びていくことから、植物は陰と陽、天と地を結ぶ媒介役として生気を引き込む重要な風水アイテムとして使われている。
 神社もそうだが、気の良い空間は植物によってももたらされるため、家の中に植物を置くと運の良い家をつくる一番簡単な方法なのだそうだ。
 植物は水(水道)と火(コンロ、電子レンジ)を中和する。キッチンや洗面所など火と水が同居する場所には欠かせないアイテムになる。
 植物には当然、花も含まれる。
 特に寝室や玄関はその家の主人の気を補充、蓄積し、仕事への活力とチャンスを与えてくれるので、運気上昇には家に植物、花を飾ることがいいらしい。
 その一方で、「死んだ植物」と位置づけられるドライフラワーは陰の気を放ち悪気を生じさせるので、絶対に部屋に置かない方がいいとのことだ。

2008年2月28日木曜日

電子レンジはなるべく使わない方がいい

 風水第3弾。
 「電子レンジをなるべく使わないようにする」ということは、風水で教わる前から気をつけてそうしている。
 だから、必然的にコンビニの弁当はほとんど食べない。ご飯も温かい方がもちろん好きだけど、余ったら渋々と冷やご飯のまま食べるようにしている。
 風水でレンジ食品を多用するのを避けるようアドバイスしているのは「陽の気が強すぎて陰陽のバランスを崩すばかりか、その人の持つ運気まで燃やしかねないから」なのだそうだ。

 でも、僕は昨年、ある本を読んでから、周りの友人や知人にも「電子レンジをなるべく使わない方がいいらしいよ」と機会を見てあえて言うようになった。
 それまではいらぬお節介になってしまうとイヤだなと思うので口にするのは極力遠慮していたが、そんな悠長なことは言ってられないなとその本を読んで思ったからだ。
 その本とはケイ・ミズモリ著「超不都合な科学的真実」。電子レンジを使うと調理品は見た目はご存知の通りほぼ変わらないが、中身の栄養素は劇的に変質し、人体に多大な影響を及ぼすことが科学的な見地から紹介されている。

 そもそも電子レンジはナチス・ドイツが研究・開発していたものを戦争で勝ったアメリカが本国に持ち帰り商品化し販売を始めたものだ。
 1991年、この電子レンジで大きな事件が起こる。アメリカのオクラホマ州で、腰の手術をするため輸血を受けた女性が死亡したのだ。原因は看護師が輸血用の血液を電子レンジで温めたためだった。輸血用の血液は事前に温めるのが通例だが、かなり急いでいたのか普段は用いない電子レンジで温めてしまったのだ。
 この事件で電子レンジに入れて温めると血液が見た目は血液のままだが、その中身はまるで別のものに変質しているということが見えてくる。
 作者のミズモリ氏は「正常な血液が重要な『何か』を失うか、有害な『何か』を発生させるかして、彼女を死に至らしめたと考えられる」と指摘している。

 スイスの科学者ハンス・ハーツェル氏は自分を含めた8人で「電子レンジで温められた食品を口にすることで人体にどのような変化が起こるか」の実験を行った。
 その結果、電子レンジで調理された野菜を食べた被験者の白血球は明らかに増加傾向することがわかった。
 特に、顕著に変化したのがコレステロール値の増加である。通常、コレストロールはゆっくりとしたスピードで変化するものだが、電子レンジで調理された野菜を食べた直後に急速に増加に転じた。ほとんどコレステロールを含まない野菜が電子レンジで温められると、コレステロール値を増加させるという驚きの結果が判明したのである。
 ロシアでは1950年から人体への影響を研究し、「発ガン物質を生み出す」「免疫システムを衰えさせる」「消化器系の障害をもたらす」「食物の栄養価を破壊する」などの理由からソ連時代の1976年に電子レンジの使用を禁止した。しかし、社会主義体制の崩壊以降、再び電子レンジの使用は自由になっている。
 電子レンジは大変便利で生活に欠かせないものになっているようなので、電磁波の影響を含めた総合的な安全性を第三者立ち会いの上で早期に立証してもらいたいと思う。
 我々ができることはまず「多用を控える」ということであろう。

2008年2月26日火曜日

「もっといい家ができる」が出版されました


 一緒に仕事をしたりすることもあり、公私ともにお世話になっている松岡在丸(さいまる)さんが先日、新刊を出版した。
 これで4冊目になる今回の本のタイトルは「もっといい家ができる」。
 一部資料の提供でお手伝いさせていただいたり、現場の取材にも立ち会ったりしたので、無事出版されたことがとってもうれしい。
 先日は読売新聞、毎日新聞にも広告が出て、売れ行きもなかなか出だし好調らしい。
 日本一デカい東京・丸の内のオアゾに本を買いに行って、あ、そうだと思いつき建築コーナーを訪ねると松岡さんの本が本棚に気持ち良さそうに並んでいたので、思わずニヤリとしてしまった。

 現在の日本の家では、通常は3寸5分(10・5㌢)角の柱材が使われているのに、神社やお寺並みの7寸(21㌢)角の柱材を使った家づくり続け、「オレの家は住む人のために必ず100年持たせるんだ」と30年の寿命しかない現代の日本の家づくりの状況に挑戦状を叩きつけているような熱い男だ。
 家づくりを考えている人にはとってもためになる本だと思うので、その機会に遭遇していたらぜひ、読んでみてください!

「悪気」を流すのに効果的な入浴時のひとつまみの塩

 風水シリーズ第2弾。
 前に塩の清め効果について書いたが、
 日常生活で吸収してしまった「悪気」を取り除くために塩を使った手軽で効果的な方法がある。
 ぞれは、入浴時にお風呂に天然の塩をひとつまみ入れるのである。
 湯船に塩を入れると、悪気を取り除くと同時に、失った生気をよみがえらせる効果があるのだそうだ。
 僕も最近そうやって湯船につかっているが、少しの量なのに肌がヒリヒリして、なんだか悪気を払ってくれているような気がする。「気のせい」と言われそうだが、「病は・・・」ではないが、元気も「気から」のようなので、素直に実践している。
 心身を清浄化させる入浴は風水的にも夜に入ることがお薦めらしい。人は寝ているときに運気を吸収するので、寝る前に入浴しないと一日に吸収した悪気を溜め込んでしまうらしいのだ。
 昨日の「とやの健康ヴィレッジ」のちょっといい話にもあったが、確かに、寝ているときに人の魂はあちらの世界に行って休養しエネルギー補給しているようだ。
 だからというわけではないが、しっかり睡眠を取って起きてる時の活力にしましょう!

2008年2月25日月曜日

「とやの健康ヴィレッジ」さんからのちょっといい話

 「・・・しました。感謝しま~す」の五日市剛さんの小冊子などを購入させてもらっている新潟新潟市で健康、環境関連の書籍、グッズなどを販売している「とやの健康ヴレッジ」さんから定期的に配信していただいているメールの中に、いい話を見つけたのでご紹介する。
 とやのさんでは、以前紹介した木内鶴彦さんの「太古の水」も扱っているほか、五日市さん、木内さんの講演情報も提供しているので、お時間がある時、ホームページ(http://toyano.jp/)もご覧になってみてください。
 
 
 ドイツの哲学者カントは、生まれながらひどい喘息持ちであった。
 17歳の時、町医者がやって来て、診てもらうことになった。
 「皆と同じ人間に生まれながら気の毒だな。しかし、よく考えてごらん。世の中には心で勝手に悩みを作って悩んでいる人が多いんだ。心に形というものがないのに勝手に作ってしまうんだ。“僕はもう駄目だ、苦しい、悲しい、死にそうだ”という。いいかい、悩んでいるのは誰だい?足が悩んだり、お尻が悲しいって言うかな。悩んでいるのは心だよ。その証拠に、寝ている時には、悩みも、貧乏も、なにもないじゃないか」
 “なるほど”とカントは心の中で思った。
 「しかしだ、心に形がないと言っても、昼間、起きている時は何かを考えているのが人間というものだ」
 「それもそうだ」とカントは身をのり出した。
 「いいかい、ここが大切だよ。どうせ考えるなら、別の考え方をした方が良い。苦しくたって悲しくたって、何事も神様が与えた試練だと思い、苦しみ悲しみを喜びと感謝にかえて、心を明るく朗らかにするのだ。そうすると自然に運が開ける。そのように宇宙はできているのだよ、君には難しいかもしれないが、それで自然治癒力が出るのだ」
 カントは医者の言葉をかみしめた。
 「この体は神様から借りたものだ。人間は夜になるとこの体を返すわけだ。すると神様は、夜のうちに修理をし掃除をして、朝また人間に貸してくれるわけだ。分かるかい」
 カントはうなずいた。
 「苦しい苦しいと思っても、もともと体の悪いのは治らないよ。せいぜい、お父さんお母さんの心を痛めるだけだ。正直言うと、君の命はこのままだと、あと二年しかもたない。せめて今まで育ててもらったお礼に、人のいる所では、嘘でもいいから笑ってみなさい。
 人は何かの使命をもって生まれてきたのだ。ひとつでもいいから、何かのお役に立つ人間になることだ。君がやることは、お父さんお母さんの前では苦しい、悲しいということを言わないことが親孝行だ。わかったかい。あと君に効く薬はない。お帰り」
 17歳のカントは、医者の言葉を何度もかみしめた。“そうだ、今まで自分で自分の心を痛めつけていた。こんな体になったのは親のせいだと、責めてばかりいて感謝したことは一度もなかった。これからは感謝と喜びだ”と心に誓った。
 こうして、カントは病気を克服し、哲学者として80歳の天寿を全うした。

風水では厄年には「緑の石」を持つと良いそうだ

 
 また、厄祓いの話。
 風水では厄年には「緑色の石」を持つといいらしい。
 緑の石というと瑪瑙(めのう)や翡翠(ひすい)、玉(ぎょく)などがあるが、色が「グリーン」であれば基本的にかまわない。
 ただし、自分で買ってはダメで、必ず身内の人に買ってもらうことが条件なのだそうだ。
 若い頃、女の子は二十歳になるまでにシルバーの指輪を男の人からプレゼントしてもらうと幸せになるという言い伝えがあった。今もその“おとぎ話”は残っているのかよくわからないが、その年頃の女の子の多くにとってその手の話は結構、切実だったんじゃないかと思う。身近な“男の人”であるお父さんからプレゼントしてもらうという手もあるが「それじゃあ、ちょっとねぇ~」みたいな雰囲気があったような覚えがある。歳を重ねたあとでは大した話でもないわけだが、若い頃は若い頃なりの深く切ない悩みがあるのだ。
 
 「緑の石」を身につける期間は前厄から後厄までで、それが過ぎたらきれいな川や湖など淡水に流して処置をする。それ以上、長く持っていると逆効果らしい。

 風水的には厄年は「運気の変動を受けやすい時期」と定義づけているそうで、そのため悪い変動だけでなく、同時に良い変動も受けることができるチャンスの年でもあるそうだ。
 12年ごとを厄年とする考えにもこの「緑色の石」が当てはまるのかどうかはわからないが、良い気をたくさん呼び込んでチャンスの年にできる人が増えるよう祈っている。

2008年2月24日日曜日

夏目漱石の「夢十夜」と籾殻(もみがら)の中の赤いリンゴ

 夏目漱石の小説の中でも特に好きな「文鳥・夢十夜」を関東平野を我が物顔で暴れ回る春一番のにぎやかな風音をBGM変わりに聞きながら読む。
 中でも夢十夜の第六夜を読み返してみたかった。
 運慶が護国寺で仁王を彫る話である。
 “自分”は運慶の刀の入れ方があまりに無遠慮なので、見物しながら「能(よ)くああ無造作に鑿(のみ)を使って、思う様な眉(まみえ)や鼻ができるものだな」と言う。
 すると、ちかくで一緒に見ていた訳知りの若い男がこう答える。
 「なに、あれは眉(まみえ)や鼻を鑿(のみ)で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌(つち)の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出す様なものだから決して間違う筈(はず)はない」と。
 これを聞いた“自分”は彫刻とはそんな簡単なものだったのか、そうなら自分にでもできると思い、うちに急いで帰って、道具箱から鑿と金槌を引っ張り出してきて樫(かし)の木を彫り始める。でも仁王は見あたらない。2本目の木からも3本目からも仁王は出てこない。家の裏に積んである薪(たきぎ)を片っ端から彫ってみたが、結局最後まで仁王は現れることはなかったという話である。

 僕は20年ほど前にこの作品を読んで、これほど芸術というものをうまく表した文章はないと思った。そして同時に、幼い頃、青森に住む父親の友人から冬場になると毎年送られてくる木箱に入ったリンゴのことを思い出した。
 当時、リンゴは籾殻(もみがら)の中に入っていた。いくつも食べて残り少なくなってくると籾殻を手でよけながら探す。すると籾殻の奥から丸くて赤いリンゴが少しずつその姿を現す。籾殻の中からまるでリンゴが生み出されてくるみたいに。

 モーツアルトも幼い頃、「なぜそんなにすばらしい曲を次々につくれるのか」との問いに対して、「自分の身体の奥で鳴り響ている曲をただ楽譜に写し取っているだけなんだ」と答えたというような逸話があったようと記憶する。

 ひとつの仕事を長年しているが、そんな境地のさわりさえ捕まえることはできない僕にとっては、ため息の出るような天才達の世界であるが、籾殻の中のリンゴを探したあの頃のドキドキした思いにも似た楽しみを持って仕事、生活に臨んでいきたいと思ったりする。

2008年2月22日金曜日

「厄祓い」は奥が深い!

 厄年は、一般的に男は25歳と42歳、女は19歳と33歳である。
 この時には厄祓(ばら)い、厄落としをしなくてはいけない。そのために普通は神社やお寺にお参りにいく。
 ずいぶん前のことだが、テレビで細木数子さんが厄祓いには、お金を半紙に包んで四つ辻にそっと置いてくればそれを誰かが拾ってくれるから、それで厄落としになるんだというようなことを話しているのを観て、
 「知らない人とはいえ、自分の厄を誰かにそっと握らせるなんてとんでもないことだ」とあきれて、少し腹が立った覚えがある。
 しかし、先日、全国各地に伝えられている風習に関する本を読んでいると、昔は各地の村や町では伝統的に小豆ご飯やお餅、お金などを四つ辻や村からちょっと出たところにポンと捨ててくることで厄を落としていた、ということを書いてあり、エエッとびっくりした。餅まきをしたり果物、お菓子を配るところ、地域によっては今でもお金をまくところもあるらしい。
 知らなかったとはいえ、また聞こえていないとは思うが、細木さん、失礼なことを言ってしまいほんとにゴメンナサイ。

 もう少しつけ加えておくと、民俗学的には「厄祓いとは物をあげること」なのだそうだ。タダでは厄は落ちない。神社でもお寺でも一定額のお布施の奉納が必要になる。江戸時代から明治の頃までは厄祓いの役割を果たす人がいて、「厄をはらいましょう」と言いながら家々をまわってお米やお金をもらって厄を背負っていく人がいたそうだ。もらった人たちはどこかに流れていく。贈与した分だけ厄災がなくなり、自分が清められる、浄化されるという考え方なのである。

 厄年について、おもしろいなと思ったのが、
 昔は伝統的に12年ごとの干支(えと)、生まれ年が厄年だったという点である。
 そのなごりで、めでたいはずの60歳の還暦の時に厄祓いをする風習のある地域が今も数多くあるそうだ。
 僕はこの12年ごとが厄年であるという考え方を強く信じる。
 特に「本卦還り(ほんけがえり)」と呼ばれる60歳の還暦の年は「越えられそうでなかなか越えられない峠のようなもの」と誰かが表現していたが、僕の母親、義父、会社の上司、知人など身近でこの60歳を目前にしながら59歳の年で世を去った人がほんとにたくさんいる。
 
 人は自然のまま、ありのままの形で生きることができれば120歳の「大還暦」まで本来は生きていけるといわれる。でも一周目のゴールであり、次の一周のスタートラインとなる「60歳」という年齢はきっと目に見えないけどものすごく高く険しい頂になっているのだろう。

 今の僕にはその60歳という”ライン”はまるで実感の伴わない遠い海の向こうの世界のような事柄であり、やるべきことは目の前にこそ数多くある。
 まずは、ここ数日のうちに厄祓いのための「贈り物」を半紙に包んで誰かにいただいてもらうことにしよう。四つ辻に置くのを誰かに見つけられて、後ろから「ちょっと」と声をかけられませんように・・・、と祈る。

2008年2月21日木曜日

うれしい出来事多き1週間に感謝、感謝

 今週はうれしいことがたくさんあった。
 まず、作家の絲山秋子さんに送った便りの返事をいただいた。
 赤荻先生とはリンクを貼れることになり、すばらしき人をご紹介できることが叶った。

 そして、先日は、故郷の友人が願いごとが叶う魔法の言葉「・・・しました。感謝しま~す!」でとっても行きたかった旅行が当たったと連絡をもらった。うれしくて思わず「やった~」と声が自然にもれてしまった。ほんとにおめでとう、良かったね!
 この方法で多くの人がいろいろな願いごとを叶えている。そして、その中には短期間で大きな願いごとを叶える人がいる。この人たちはうまく説明できないけど“特別な何か“を持っているとはっきり感じられる。

 「人の幸運は誰しもコップ一杯で、使うと目減りしていく」ということを言う人もいるけど、謙虚に感謝の気持を持っていれば、決してそんなことはありません。ツイてることがどんどん続いていく人生は可能なので、これからもたくさん感謝して、たくさんツイている出来事をどしどし引き寄せてほしいと思う。ネガティブなことを思うとそれも叶っちゃうからコワイのです。

 おっと、それから田舎にいる父親が来週、退院するという知らせが昨夜入った。ここ数年のひとり暮らしによる不摂生がたたり血糖値が上がってインシュリン常用の一方手前になっていることが幸いにも判り、食事療法のため先月から入院していた。
 連れ合いに先立たれた男は得てして弱いものである。一番身近な先祖である親の姿から学ぶことは多く、ため息がもれる。

 父親が入院している間に、鹿児島市内にいる妹が実家に泊まり込み、大掃除をしたらしい。それが並みの大掃除ではなく、軽トラック10回分の荷物を処分したのだと気合いの入った声で妹から電話があった。きちんと捨てて行くのは良いことで、家も口が聞けたらずいぶん身軽になってきっとニコニコ笑っていることだろうけど、さっぱりしすぎた感のある家に1ヶ月ぶりに戻った父親がどんな表情で、いかなる第一声をもらすのか、そばで見聞きできないのがとっても残念である。
 さて、さて、しばらくは飲み過ぎちゃダメだよ~、甘いものも控えなくっちゃ。

茨城・水戸の赤荻先生とリンクさせていただきました

 先日、このブログでご紹介した茨城県水戸市の赤荻(あかおぎ)弘先生とリンクさせていただけることになった(前回の中では、ご本人に承諾頂く前だったので「Aさん」と記しています)。
 
 僕は今月9日、会社の同僚の心身不調のことでご相談にうかがい、その時初めて赤荻先生にお会いし、その温かな人柄、生きる上での考え方、知識の豊富さに感銘を受け、一度で魅了された。
 だから、ブログでの出会いも含めて僕と縁のある方々にも赤荻先生のことをぜひ知っていただきたかった。
 本業である塗装のことや趣味、日常のことなど多彩な話題が楽しめるホームページを開設されていることを知ったので、ぜひリンクを貼らしてほしいとお願いしたところ、快く承諾のお返事をいただいた。
 この場を借りまして深く感謝申し上げます。

 前にも書いたが、細木数子さんが相談に来るような偉大な師であった本多常二郎先生が最もかわいがったのが赤荻先生である。お話をうかがいながら、本多先生への敬慕の念を今もなお強烈にお持ちであり、師弟の絆の深さを強く感じた。
 「人のためを持って生きる」「謝礼を受け取らず」の教えも今もなお固く守っておられる。僕もさまざまな人と出会ってきたが有能であればあるほどなかなかできぬことである。
 仕事や健康、人間関係、進路相談、引っ越しなど不安や悩みがある方は、赤荻先生のホームぺージhttp://tosou-akaogi.blogdehp.ne.jp/の「困りごと何でも相談所」から相談してみてください。
 大変に多忙な方だが、時間が許す限り、きっと親切に相談に乗っていただけると思う。
 僕も前回おうかがいした時は同僚や他の人の相談だけだったので、現在、自分のことを観ていただてます。楽しみだけど、なんだか少しコワイ・・・。

2008年2月19日火曜日

絲山秋子さんからの返信

 先のブログで絲山秋子さんの作品について書いた直後、僕の故郷の指宿のことをテーマに作品を書いていただいたことへのお礼、そして僕自身もその地を離れてからずっと指宿は「世界の果て」だと思っていたことからこの作品を読んで特別な思いを抱いたことなどを記したメールを絲山さんに送ったところ、翌日、ご丁寧なお返事をいただいた。
 思いもしなかったことだったので恐縮しつつ、素直にとてもうれしかった。

 絲山さんは「逃亡くそたわけ」で描いた「世界の果て」、別の作品のタイトルにも使われた「袋小路」という概念が好きで、現在は関東平野の「果て」とご自身がおっしゃる群馬県の高崎市の窓から山々が見える環境で執筆しているそうだ。
 まだすべての作品を読んだわけではないのだが、僕は絲山さんの作品の中で「イッツ・オンリー・トーク」に収められている「第七障害」が一番好きだ。
 若き男女が湖のほとりで未来へのささやかな希望の余韻を残しながら終わるこの作品の舞台は群馬県高崎市だった。
 そういう意味で、絲山さんが住んでいる場所がこの「第七障害」と同じ高崎であることを知り、なんだか無性にうれしかった。

 絲山さん、「世界の果て」から生み出される作品をこれからも大いに楽しみにしてます。

2008年2月16日土曜日

絲山さんの小説に描かれた指宿も「やっぱり“ワールズ・エンド(世界の果て)”だったのです」


 ここのところ、絲山秋子さんの小説にハマっている。
 今年1月に女性作家の小説を集中的に読み、その感想を簡単にこのブログでも書いたが、それを機に絲山さんの作品にズルリと魅了されてしまい、「袋小路の男」に続き、「海の仙人」「エスケイプ/アブセント」「イッツ・オンリー・トーク」「逃亡くそたわけ」「沖で待つ」と立て続けに読んだ。
 1日に1冊のようなペースで読んでしまうこともあったが絲山さんは最近の作家で世に出ているのが10作品ほどだということがわかったのでペースを一気に落とした。慌ただしく読むのはもったいない。残りの作品はスルメを味わうように読むとしようと思ったからだ。

 読んだ作品の中からここでは「逃亡くそたわけ」という作品について紹介したい。
 この作品は、福岡の精神病院を抜け出した若い男女が逃走生活を送る日々が描かれている。ふたりは福岡から車を南へ南へと走らせながら、さまざまな出来事や、幾重ものやりとりを重ね、逃走の旅は終焉(しゅうえん)を迎える。
 その終焉地が僕の故郷、鹿児島県の「指宿(いぶすき)」なのだ。

 薩摩半島の南端にある指宿を僕は20年ほど前に離れて東京に向かった。来た当初は来た当初なりの色で、歳月が過ぎ去れば過ぎたなりの色で郷愁の思いというものはずっと僕の胸中を巡り、彩り続けてきたし、これからもきっとそうなのだろうと思う。
 ただ、そんな思いとは別に、故郷の指宿には遠く離れたからこそ見えてくる印象が浮かび上がってくるものがあった。それは20歳の頃に読んで好きだったポール・セローの小説のタイトルにもなった「ワールズ・エンド(世界の果て)」という強烈な印象だった。
 本州最南端に位置するその町で目の前の海原を眺めながら育った者として、そこにいる時にはわからなかったが、一歩離れてみると、彼の地はまさしく「ワールズ・エンド」なのだ。
 その後、仕事やプライベートで欧米やアジアなどの地を踏んでもその思いはまったく変わらない。

 だから、「逃亡くそたわけ」の中で、登場人物のふたりの旅の終着地が指宿、そして長崎鼻(ながさきばな)であったことに僕は少なからず驚き、同様の思いを抱き、さらにそれを小説という形で表現されたものにふれられてじんわりと感慨のようなものが胸の内で夕焼けのように広がった。

 そうした指宿への印象を抱いている人が身近にもいた。
 先日14日にフランスから仕事で帰国した友人と東京で飲みながら、彼女が本好きだったこともあって、絲山さんの小説のこと、ワールズ・エンドのことを話したところ、
 「長年海外で暮らしてきたけど、私もずっと指宿がワールズ・エンドだと思っていたの」と少し驚いたような表情でつぶやいた。

 そう言った彼女は翌日、その「ワールズ・エンド」に向けて飛び立っていった。

 「逃亡くそたわけ」のクライマックスには、潮が引くと海の中に砂の道ができて渡ることができる「知林ヶ島(ちりんがしま)」や、登場人物のなごやんに「富士山のレプリカかよ」と怒鳴らせた「開聞岳(かいもんだけ)」が登場する。
 僕は人生の晩年をその「ワールズ・エンド」で過ごしたいと思っているし、その希望がたとえ叶わなくても死んで灰になってしまえば誰かの手で、沈む夕日に映える開聞岳がよく見える墓地に眠ることになるはずだ。

 そういう意味では、いつも「ワールズ・エンド」はいつも僕の身近にある。

 数年ぶりに新刊が出たらすぐに読みたいと思える作家に出会えた喜びの直後に、その作家から指宿に「ワールズ・エンド」をうかがわせるようなメッセージをいただけるなんて思いもしなかった。
 良き読書生活を強く予感させられる年始めである。

バレンタインデーは同窓会日和

 14日の夜は、フランスから友人が帰国したので、こっちにいる鹿児島の同級生で東京・丸の内に集まり歓迎の宴を開いた。
 今回、友人はバレンタインデーに合わせて日本の大手百貨店が企画したチョコレートの販売イベントへの招集を依頼されたフランスのチョコレート屋さんと一緒に通訳として帰ってきたのだ。
 僕などすっかり忘れてしまっていたが、世の中にはまだバレンタインデーなるイベントがしっかりと現存していて人々の心ときめかせたり、深く落胆させたりする力を持っているのだ。
 まあ、ひとりの男が忘却しようが世界は変わらず回り続ける。そんなプールの底で暮らしているようなことを言うのは止して、そのおかげで友人が帰って来られて会えることになったのだから、バレンタインデー、そしてセント・バレンタインさんには素直に感謝、感謝である。アーメン。
 2次会の途中から東京ドームで行われたポリスのコンサート帰りの友人らが合流して、結局朝まで飲む。
 平日の夜ということで女性の参加が少なかったのは残念だったが、楽しく懐かしく語らい、よく飲んだ。
 フランスから帰ってきた友人は翌日、鹿児島・指宿へと向かった。
 故郷の人、空気を思いっきり満喫して、心の中のお土産をたくさん抱えて、異国での生活の活力にしてほしいと思う。
 次の帰郷待っているよ~

2008年2月14日木曜日

あの世とこの世を結ぶ仕組み「人はなぜ病気になるのか」

 茨城・水戸のAさんからうかがった話はどれも刺激的で自分が知っていることから得心するところも多かったが、その中でももっとも新鮮であり、深く考えさせられたのが、
 「あの世とこの世を結ぶ仕組み」の話であった。

 以下にその概要をまとめてみる。

 「あの世」と「この世」は鏡合わせのように「表裏一体」になっている。
特にこの世にいる我々とあの世にいる先祖とを結ぶ関係はかなり緊密であり、この緊密な関係によって病気になったり、怪我をしたりという形でこの世の子孫に現れてくることがよくある。
 
 人は亡くなり、死後の世界に行くと、この世での「行為」はすべて忘れてしまうといわれている。
 しかし、あの世にもこの世と同様、「信賞必罰」がある。この世で良きことをした人はあの世で良き評価を得るし、この世で悪いことをした人はあの世でも相応の償いが待ち受けている。
 ひとつの例をあげると、朝から晩まで他人の赤ちゃんに自分のお乳を飲ませる償いを延々とやっている女性がいる。寝ても覚めても自分の子でもない赤ちゃんにお乳をあげ続けているのだから、
 「なんで私はこんなことをしてなくちゃならないのだろう」と悩み迷う。
 しかし、あの世に来た時に自分が行いの記憶は消し去られているから、本人にはその理由はまったくわからない。
 考えても考えてもわからない女性は「なぜだろう、なぜ私はこんなことになっているんだろう」とたえず深く悩み続ける。すると、彼女から強い病的精神的波動「念波」が発せられる。その先祖の霊から発せられる強烈な「念波」はこの世にまで達し、自分と相性が良かったり、考え方がよく似ていたり、感受しやすい子孫にまっすぐに届き、その「念波」と同じような形を肉体に「病気」という形で現してくるのである。

 そのため、念波によって重い病気や怪我を患った子孫も先祖と同じように「なんで自分はこんなことにならなくちゃならないんだろう」と理由がわからないまま病気の生活を送ることになる。

 まさにあの世とこの世で「合わせ鏡」の状態がここで起こってしまうのだ。

 昔の人はその理由を知っていて対策を講じることができた。
 今ではどうかというと、このことを知る新興宗教グループなどが先祖とのかかわりを持ち出して善意をもって対策の仕方を教えてくれるわけでも、手助けしてくれるわけでもなく、高額のお布施や商品の購入などを押し付ける「手段」として利用している。

 霊界において悩み苦しんで迷っている霊を供養し悟らすことができれば「念波」の波動は無くなり、そのために起こる様々な問題も無くなる。
 供養の仕方は、「霊界で悩み苦しんでいる祖先の霊に対して その原因を教え悟らせてあげればいい」のである。 
 別にその人に特定の恨みがある訳でも、その責任を追及する訳でもない。 自分自身が救われたいから、誰か親類縁者に救われたいと思って悲痛な「念波」を送っているだけなので、原因を教えて気づかせてあげるだけでいいのだ。

 例であげた「寝ても覚めても他人の赤ちゃんにお乳をあげている女性」は、この世で「育児放棄」をしたのである。自分が生んだ赤ちゃんを育てていくという役目を放棄して人に自分の子供預け、わが子を省みなかった報いをあの世で「他人の子を育てる」という形で受けている。
 その念波が再び子孫に影響を与え、同じ過ちを連鎖させてしまう。

 だから、この場合であれば、「あなたはこの世で育児放棄をしたから、今そのような償いをしているんですよ。ですから、自分がこの世でしたことをしっかり理解したうえで、どうか償いをきちんと勤め上げてくださいね」と教えてあげればいいのだ。
 すると往々にして魔法が解けたようにこの世での病気が改善することが起こる。

 一般的には3代~4代ぐらい前の霊(先祖)の念波が多いので、病気の原因を知り、同じ原因で無くなった先祖が誰であるか調べて具体的に供養してあげると効果的である。



 ★ここに、最近あったというAさんの具体的な相談事例を添付しておきます。

 先日突然に電話が入り相談の依頼を受けました。
 相談者Sさん 52歳の主婦です。
 相談事は、最近自分の事や家族が何かと問題が起こるので困っているとの事でした。
 占い師等にも相談したのですが上手く行かないとの事でした。
 いろいろと良くお話を聞いていますと、先ず人として成すべき事をしていない事がわかりました。これでは占い師等に相談したところで解決できる物ではありません。本人が根本的なことに気が付いていないのです。相談する以前の問題です。
 人間は、人として成すべきこと(道義的)をきちんとしていれば、そんなに大きな問題が起る事はありません。お話を聞いていると先ず、墓参りに何年も行ってない事。特にご主人の親の葬儀にも行ってないとの事でした(ご主人と別居中。現在は同居)。当然問題が起こっても不思議ではありません。又、本人は子宮筋腫の病気をしたそうです。水子を問いたところ、二人いたそうです、これも供養されていません。子供さんに霊感の強い方が居てお婆さんの霊が見えたとかお爺さんの霊が部屋に居たと言ったそうです。
 解決法として提案させて頂きました。
 1) すぐに墓参りを実行する事。
 墓前に花・線香をたむけ今迄の事を謝罪し感謝の気持を持って手を合わせる。
 2) 水子の供養をする事。(水子供養の場所を教えてあげました)
 3) 黄変死したご先祖様がいますのでその方の供養の実行。
 黄変死したようなご先祖様が居て、供養されて成仏していないと何代でも病気が続く恐れがあります
ので、すぐに供養をしてあげる事です。
 お出でになった時は結構不安な硬い表情でしたが、お帰りの時は顔つきが変わって穏やかになり笑顔で、上記の事をすぐに実行する事を約束して帰られました。     
 自分のご先祖様は10代さかのぼると1024人おります。その一つの組み合わせが違っていたら現在の自分は存在しないのです。
 両親が居たから今の自分が存在するわけです。ご両親やご先祖様に感謝の気持を持っていなければなりません。
 最低でも年末、年始、春・秋の彼岸・お盆には墓参りをして下さい。
 供養とは本人の生前の行いを教えてあげる事です。
 人は、人としていなければならないことを普段からしていれば難しい問題が起る事は無いのです。

2008年2月12日火曜日

「すごい人がいるものだ」。鬱病の克服には「感謝の生活」

 会社の同僚が心身のバランスを崩し、回復するどころか昨年末にはとうとう入院してしまい、何か力になることはできないものかと考えていると、茨城県水戸市に“見えない部分”で人のために相談にのって力になっている人がいて紹介してもらえることになったものだから、連休初日の9日、紹介者のホンマさんと水戸に向けて電車に乗った。

 水戸で塗装業を営みながら、地域に限らず各地から訪れる人々のさまざまな悩みや相談に毎日のように応じているAさんには、本人が「師匠」と呼ぶある人との出会いがあったという。
 「師匠」は生前一切表の世界には出ることのない人だったが、人づてに聞き知った人々が年間3000人以上訪れ、まさに「門前列を成す」様相だったという。その中には今ではテレビなどで有名で、見てもらうには高額の相談料が必要とされるといわれる女性占い師の仕えの人もちょくちょく相談に訪れていたそうだ。
 Aさんはこの「師匠」にかわいがられてその世界に足を踏み入れ、「師匠」の没後は地元・水戸の自宅で人々の相談を受けるようになった。
 ただし、「師匠」からの言いつけである「人のためをもって行う」「謝礼は一切受け取らない」との約束を今も変わらず固く守り続けているような人物である。

 “見ない世界から導くセンセイ“というとおどろおどろしいイメージを抱きやすいが、お会いしたAさんは穏やかな笑顔を満面にたたえ、お話をさせていただいてからも明るく気さくで、心の温かさがひしひしと伝わってくるような方だ。
 高校生の女の子2、3人が「どうしたら彼氏ができるんですか」と相談に訪れたり、育児放棄の赤ちゃんをこれまで何人も面倒みてきたといった相談事例を紹介した方がその人となりを的確にわかってもらえるかもしれない。
 ちなみに彼氏が欲しいという高校生へのアドバイスはどんなものだったのか訊ねると、
 「オヤジさんとはよくしゃべってっか?」
 「いいや。この1年ぐらい全然しゃべってねぇ」
 「なんだぁー、一番身近な”男”としゃべれねえのに、彼氏なんかできっこねぇっぺよ。
 オヤジさんとよくしゃべるようにしてごらん。そしたら彼氏は間違いなくできる」
 だったとのこと。
 やりとりがおもしろいと思ったが、数ヶ月後、高校生が恥ずかしそうにオヤジさんと話すようになったことと彼氏が出来たことを報告に来たという話はもっとおもしろい!!
 

 この日は約束した朝10時半にお邪魔してから、実に夕方5時きっかりまでお話させていただく機会に恵まれた。
 席を同じくしていただいたAさんの奥様もまたAさん以上に朗らかで、親切心にあふれる方だった。 「朝、早かったからゆっくりご飯を食べる時間もなかったでしょう」とおっしゃって焼きおにぎりをつくってくださったり、果物やお菓子など次から次ぎのもてなしに恐縮しつつも故郷に戻ったような感慨を抱かされた。育児放棄の赤ちゃんの面倒をこれまで何人も見てきたのに「赤ちゃんとはまだまだ会いたい」というのだから、まさに“温かき肝っ玉母さん”でもある。

 6時間以上という時間があっという間に感じられるぐらい今までも聞いたことのない刺激的内容の話が多々あり、ご一緒していただたホンマさんと顔を見合わせるようにして驚き、知るに従い深く納得させられることになった。

 ここで、うかがったお話をいくつかに分けてご紹介したいと思うが、
 まずは、「鬱(うつ)病」の克服法について。
 昨年、Aさんのところには、鬱病の相談がものすごく多かったそうだ。
 Aさんによると鬱病の原因は、「その方の前世に深い関係があります。簡単に説明すると、前世が何の問題もない裕福なところに生まれ、何不自由なく育って、何事にも感謝の気持を持たない事に機縁(きえん)しています。
 したがって、鬱病の原因は『感謝の気持ち』を忘れている事にあるのです」と説明する。

 「だから克服するには、お茶を飲む、食事する、与えられた仕事等、何事をするにも『有難い』」と心で唱え、感謝しながら生活をすることです。これには時間もお金も掛かりません。これを実践することで必ず快方へ向かうでしょう」と教えてくれた。

 このブログでもおなじみの「感謝」だが、鬱病の克服にもそれほど効果てきめんだとは知らなかった。

 Aさんは、「実践して克服されなかった人は今まで一人もおりません。欝でお悩みの方は是非騙(だま)されたと思って実践してみて下さい」と話してる。

2008年2月10日日曜日

嫌な「気」で気分や具合が悪い時は清めの「粗塩」


 僕は、日頃持ち歩いているカバンの中に「粗(あら)塩」を携帯している。
 「ゆで卵が三度のメシより好きで、いつでもどこでも食べたいもんだから」・・・、なんて冗談はさておき、

 「清め」に使うためである。

 「清め」というと、年初に足を運んだ仕事先の新年パーティ会場で、久しぶりに会った知人から
 「実は昨年末に自宅が火事になって全焼しちゃってね、今、家を建て替えてるところなんだ」と突然うち明けられてびっくりした。
 原因を訊ねると、暖かいフトンに寝ようと思い乾燥機のタイマーをセットして仕事に出かけたら乾燥機が発火して、帰宅してみたら家が焼けて無くなってしまっていたという。
 息子夫婦と孫も一緒に暮らしているはずだからかなり大変だったに違いないはずなのに、その時も楽天家で明るい性格そのままに
 「70(歳)前にほんと参っちゃうよな」と笑いながら話してくれたおかげで、僕も気持ちがいくらか楽になった。
 そんな雰囲気だったので、僕も励ますつもりで
「昔から商売人は、店を出すなら火事の跡地を探せ、火事になった場所が空いていたら少々のムリをしてでも手に入れろと言われていたらしいですよ。
 なぜかというと、火事になった場所は清められて土地の運気が大きく上昇するらしいんです。だからこれから家運がグッと盛りますよ、必ず」と伝えると、
 「そうか、そうか」とその知人は笑顔を浮かべて何度もうなずいていた。

 「清める方法」には、さまざまある。
 その中でももっとも「清め」の力が強いのは「火」であるといわれる。
 その次が「水」、
 そして「塩」となる。
 幾度か清めや供養など神事に関わらせてもらったことがあるが、
 「ろうそく」「酒」「塩」(これに米)は不可欠である。
 また、般若心経を写経したのちの処置も、「焼き」「水に流し」「土に埋める」という3つの方法をその目的に応じて採る。

 「清めたい」からといって、毎回、焼くわけにも、水をかけまくるわけにもいかないので、その点でも塩が一番手軽にできる「清め」の方法だ。
 今からもう7、8年前になるが、僕は心身のバランスを崩し、人込みやラッシュ時の電車の中にいると、突然、鼓動が早くなったり、呼吸が苦しくなったり、脂汗が出てきたりするような症状に悩まされたことがあった。
 いろんな方々のおかげで今ではすっかり健康だが、調子を崩した当初は早く治そうと気持を焦らせたものだった。
 「仕事のことや母親が重い病になったことなどさまざまなことが複雑にからみあって僕の中で『ごった煮』のよう状態になり、ジワジワと時間をかけてバランスを崩してしまったのだ。だから治すためには、からんだ糸をひとつひとつほどいていくような丹念な作業の積み重ねをからまった時以上の時間をかけて根気よくやっていく必要がある」ということは、その時の僕にはわからなかった。
 そんな余裕などなく、先が見えないことが重くつらく、空回りしながら焦るだけだった。

 そんな時期ではあったが、その間にいくつも不思議な体験をした。
 そのうちのひとつの体験から僕は「粗塩」を携帯するようになったのだ。
 ある日、電車の中でその不快な症状が始まり脂汗が流れ我慢できなくなったので電車を降りた。しばらくすると息が深くできるようになり徐々に気分も改善してきた。その頃は、そんなことがいつものことになっていた。
 でも、その日は普段と違い、「あれっ」と気がつくことがあった。
 それから数日が過ぎ、再び電車で具合が悪くなったので、僕は電車を降りてホームに残らずに小走りに駆けて隣の車両に乗りかえた。すると身体の中に広がっていた何とも言えない不快がすーっと薄れていったのだ。
 そうしたことを何回か確認したうえで、僕は「やっぱりそうか」と思った。
 同じように混んでいても車両を替えると嫌な気分はずいぶん楽になった。自分の心身のバランスが崩れているのは確かだけど、どこでも同じように具合が悪くなるというわけではなく、「外部の環境にも何らかの原因がある」ということに気がついたのだ。

 そうやって違う角度からあたりに気を配ってみると、電車の中に限らず、オフィスやレストラン、飲み屋など場所によって良い気のところとそうでないところがあり、人の出入りでも良かったところが悪くなることもあるということがわかってきた。
 僕の経験上では「地下にある店」は気が重いというか淀んでいるようなところが結構多く、バランスを崩している当時は、しばらくそこにいるとかなりの確率で気持が悪くなった。
 といっても、仕事柄、夕方以降のつきあいも多くいろんな場所に足を向ける。バランスを崩した時は半年ほど禁酒をしたが、酒なしでも顔を出さなくてはならないケースもあった。
 そんな事情だったので、建物や乗物で嫌な気を感じて具合が悪くなった時に軽減させるための何らかの方法はないかな~と探している時に出会ったのが、「粗塩」だったのだ。
 試しに頭や身体、足下に軽く3回ほどパッパッと粗塩をかけると、しばらくすると気分がスッと軽く楽になることがわかった。
 それから僕はカバンの中に携帯「粗塩」をしのばせておくようになった。

 心身のバランスが戻ってからは、頻繁(ひんぱん)には使わなくなったが、すっごく悪い気の場所に足を運んだ時、病院にお見舞いに行った時、他人の愚痴、悪口を多く聞かされた時など、ネガティブなエネルギーによって気分が悪くなったり、首や肩など身体がずしりと重くなるので、その時は粗塩のお世話になる。 寝不足や風邪、便秘など体調があまりよくない時は悪い気に過敏に反応するので今でも粗塩は手放せない。
 塩は食卓塩などの塩化ナトリウムの化学調味料以外の「天然塩」ならなんでもいいと思う。

 また、粗塩以外にも、空気を入れ換えて換気したり、腹式呼吸しながら強く長く息を吐いたり、パン、パンと柏手を打つ「音霊(おとだま)」などの方法でも、重く淀んだ気を祓(はら)うことはできる。

 こんな世の中だからストレスなどで心身が疲れている時が特に要注意である。
 くたびれ果てて、「殻を脱いだ卵」のような状態になってしまうと、どんなとささいなことでもずっしりと堪(こた)えてくる。
 心身の清めのために、そして少しでも元気になってもらうために、思い出した時でかまわないので、「粗塩」での清めを上手に使ってもらいたいと思う。
 ※写真は2月3日の節分の日に入れ替えた各部屋に置いている「清めの塩」です。

2008年2月7日木曜日

新年の幕開けと魔除けの美輪さん


 3日の節分を終え、とうとう新春が訪れた。
 日本では昔から、2月の「立春」が新たな年の始まりだった。
 20年ほど前に、「新たなことをするのなら、新年まで待ちなさい」と言われ、元旦からやろうとしていたら「新年とは節分後のことです」とたしなめられた。
 最初は面食らったが、今でも大変ありがたいアドバイスだったと思っている。
 だから僕にとって節分は特別な日で、例年、節分を終えると、落ち着いた時期に神社に初詣にいく。今年も週末にでも行くとしよう。

 添付した写真は近所の友人からいただいたもの。
 彼の実家近くのお寺で行われる毎年恒例の節分の豆まきに美輪明宏さんが縁があって訪れているのだそうだ。
 知り人ぞ知ること(!?)らしいが、美輪さんの写真を飾っておくと魔除けの効果があるらしい。うちのトイレには昨年いつのまにか美輪さんの小さな写真が飾られている。最初はなんだかとっても気になっていたが、今では内装の一部のようになじんでいるから恐ろしい。  
 ここでご縁のあった皆さんにも携帯のカメラなので画像は良くないですが、
 今年一年の「魔除け」が叶うよう心を込めてここに写真を張らせていただきます。

 画像を送ってくれた友人は今年の元旦から大好きだった煙草をやめて、そのまま節分を迎えることができたそうだ。
 もうここまでくれば大丈夫。禁煙達成、ほんとに、おめでとう!僕もうれしいです。

2008年2月6日水曜日

柊と鰯の頭とマメ殻とウサギたち



 節分の日は関東に2年ぶりの大雪が降った。
 真っ白な雪が春を告げるというのも趣(おもむき)があってなかなかいい。

 今年は節分に初めて柊(ひいらぎ)の枝と鰯(いわし)の頭とマメ殻の飾り物を飾ってみた。
 柊は葉っぱのトゲトゲを、豆殻はその音を、焼いた鰯の頭はその臭いを、それぞれ鬼が嫌うことから、邪気を寄せ付けない「魔除け」の効果があると信じられているのだそうだ。
 僕が生まれ育った南九州の家では豆まきだけで、そうした風習はなかった。関東の風習なのかと思い、翌日、江戸っ子で江戸の文化のことにも結構詳しい知人に聞いてみたが、山の手では自分も親の代にもそんな習わしはなかったということだった。
 ということで節分に柊の枝に焼いた鰯の頭を差す「柊鰯」を飾る風習について調べてみると、関西の奈良県奈良市内では多くの家庭で今も行われているらしい。でも、お隣の京都市内ではまったくといっていいほど見受けられないそうだ。また、関東も今でもこの風習が残っているのは一部地域だけらしい。
 通常は柊の枝に鰯の頭を差すのが一般的だが、種をとった大豆のマメ殻を一緒に飾るのは関東付近だけらしいということもわかった。
 節分前日、僕は近所に柊の小枝を探しに出かけ、スーパーで見つけた柊にはマメ殻が一緒にくっついていたので、それを買って帰って飾ったわけだが、今住んでいる千葉市がまさにその「一部の地域」だったのだ。
 この「柊鰯」の風習は平安時代にはすでに各地で行われていたそうだ。今では細々とした風習になってしまったのだが、それでも現代まで続けられてきたことの不思議とその奥に秘められた家内安全を新年に願う人々の素朴な願いに思いをはせるよき機会となった。

 やはり戦後に一時潰え、その後、復活した「恵方巻き」も食べてみた。長いままですべて食べたらそれだけで腹一杯になりそうなので、普段より少し長めに包丁を入れて、方位磁石で今年の恵方である「南南東」を確かめて、そちらを向いてにっこりしながら無言で食べた。
 無言で食べている家族の姿がなんともおかしく、笑いをこらえるのに苦労した。
 夜は豆まきでベランダなど屋外には煎り大豆、室内には落花生をそれぞれまいた。まいた後の掃除のことを考えてやっているのか、と鬼に足下を見透かされそうだが、そのへんは気合いを入れた「鬼は外~、福は内~」のかけ声ではね飛ばすことにした。
 と、まあやることをやってしまうとなんだか清々しい気持になった。

 節分の日の雪は僕の身近にいくつかの被害を及ぼした。
 翌日、訪ねた知人はその朝、出社時に凍った道路に足を滑らせて背中から落下したとロボットのような足取りで歩きながら悲しそうにその顛末(てんまつ)を語った。
 別の知人は背中ではなくて頭から落下してその日は会社を休んだと痛い頭に手をやりながら苦笑いした。
 2回、続けに同じような出来事があったら、それは「神か宇宙がその人にそのことを伝えたがっている」ということなのだそうだ。
 僕がふと思ったのは、「これは卯年生まれに何かあるのかな」ということだった。ステンと転んだ二人は双方とも今年57歳の卯年だったからである。
 その予想は幸か不幸か的中し、家に帰ると息子が熱を突発させて学校を早退してたたくさん毛布をかぶり寝ていた。うちの唯一のウサギは「長男」だったのである。
 日頃から世話になっている滑って転んだ57歳のウサギたちには、
 「かなり痛かったでしょうが、節分の日に降った縁起のいい雪で滑ったんですから豪快な厄落としだったんですよ」と伝えた。
 うちの長男ウサギも”厄落としで出た知恵熱”だったらしく翌日はけろりとして元気に登校していった。

 「今年はウサギの人たちはなにか特別な年になるのかもしれないな」と勝手な想像を巡らせている。

2008年2月5日火曜日

おじいちゃん、おばあちゃんの「よく噛んで食べなさい」は科学だった


 前回、同志社大学の西岡一名誉教授の著書「噛めば体が強くなる」をあげて、日本人に多発するガンの原因についてご紹介したが、この本の本旨は、「噛むことの大切さ」を伝えることにあるので、そのへんの内容を少し付け加えさせていただく。

 昔は、おじいちゃんやおばあちゃんに「よく噛んで食べなさい」といわれたものだが、
 西岡名誉教授は、噛むことで出てくる唾液の研究を長年行い、「唾液には、病気や老化の原因になっている『活性酸素』を消去する大きな力がある」ということを科学的に立証した。

 前回、ここで取り上げた世界で日本人だけが口にした防腐剤で極めて発ガン性の高い化学物質「AF-2」でさえ飲み込む前によく噛むことによって多く出る唾液で無害化されるということも試験によって明らかにしている。

 また、長寿で漢方の知識にも造詣が深く、16人の子宝(最後の子供は66歳の時!)にも恵まれた徳川家康が書き残した健康で長生きできる秘訣の書「健康十訓」には、その第1訓に「一口、48回噛む」と記しているそうだ。
 西岡名誉教授は、健康ばかりでなく、ダイエット、ボケ防止、美容にも優れた効果があるとして、現在、「一口三十回の会」を設立して噛むことの大切さを訴えている。
 以前このブログでご紹介した屋久島のガジュツを原料にした漢方薬「恵命我神散」の上田先生も、よく噛むことが酵素を生み出し、身体を育てるとおっしゃっていた。
 「牛をはじめ草食動物はよく食べ物をよく噛む。草食動物はカルシウムを摂取しないのに骨粗鬆症(こつそしょうしょう)が一匹もいないのはよく噛んで酵素を出しているからです。人も一緒です。昔の人はそんなこと誰もが知ってましたよ」という話にはおもわず笑いつつも、納得してうなずかされた。

 まさに唾液は“偉大”であり、おじいちゃん、おばあちゃんの教えも”ありがたい”ものだったのだ。
 「軟食の時代」だからこそ、よく噛むという教えがより大切になるのだろう。
 そして、「高齢化の時代」だからこそかつての日本のおじいちゃん、おばあちゃんがどういった存在であったのかということをもう一度真剣に考えてみる時期にきているのかもしれない。不遜(ふそん)な子供が増えたのではなく、威厳(いげん)ある大人が少なくなったためであることと同じように。

2008年2月4日月曜日

中国毒入り餃子事故で思い出す日本人のガン多発の原因「AF-2」

 中国産食品でまたまた事故が発生した。
 今回は冷凍餃子という加工品であったことも災いし、一度に1000人以上の人たちが被害にあうという深刻な事故となった。
 特に小さな子供に食べさせてしまった親の心中はいかばかりかと察する。
 本来、そうした外部から家庭への侵入物に対して“防波堤”の役割を求められる親がいくら知らなかったとはいえ、自らの手で我が子に毒入りの食べ物を食べさせたことになったのだからたまらない話だ。  
 小さい子供がいる者として身を切られるような気持になる。

 今回の事故で餃子の中に混入していたといわれる「メタミドホス」は有機リン系の殺虫剤で、日本では入手が困難な化学物質だ。
 化学物質には仕事やNPOでのボランティア活動で「シックハウス問題」に長く関わってきたので、その怖さや危険性についてよく知っているつもりだ。毒入り餃子を食べた被害者が中毒症状を起こして入院し、その後、回復に向かっていると報道されているが、回復しても身体の中に一度入った化学物質は体内に残留して他の病気を誘発したり、物質によっては染色体異常を引き起こすものもあり、次代の子供に影響が出てきたりするケースもある。
 

 日本人は3人にひとりがガンで死んでいる。昭和56年に死因の1位となって以降、増加傾向は続き、現在、年間に30万人を超える人がその犠牲になっている。
 しかし、これは世界の中でも特異な数値なのである。欧米では心臓病などが死因の1位を占め、ガンが死因という割合は低い。
 では、なぜ日本人だけにガンが多発しているのか。僕は、昨年、そのわけを知って少なからずショックを受けた。
 「世界一受けたい授業」というテレビ番組でも講師として出演している同志社大学の西岡一名誉教授は著書「噛めば体が強くなる」の中で、世界の人が口にしていないのに、日本人だけが口にしたある化学物質が原因であると指摘する。
 昭和30年代のはじめ、食品の流通革命が進む中で食品を長持ちさせるために殺菌剤フリルフラマイド、通称「AF-2」という優秀な化学物質が登場する。
 大阪大学医学部で発ガン性試験を含む各種の安全性試験が行われ、その結果、「安全性には問題なし」とのデータが厚生省に提出されて、昭和40年、AF-2は食品添加物として認可される(しかし、のちにこの安全性試験はAF-2を開発した上野製薬側が行ったことが判明する)。
 AF-2は魚肉ソーセージやハム、豆腐、魚介練り製品などに使われ、広く日本人の体内に取り入れられていく。
 昭和46年、東京医科歯科大学の外村教授は偶然、AF-2が人の染色体異常を引き起こすことを発見する。しかし、当初は行政からまったく相手にされず、その後、ネズミによる発ガン実験などで発ガン性が確認されるなどの経緯を経て昭和49年になってようやくAF-2の使用が禁止されることになる。
 この9年間にわたり、日本人が摂取してきたAF-2は、わずか1グラムで約200億個の突然変異細胞をつくることが現在では判っている。
 日本以外の国ではその構造が発ガン性などの毒性を持つ可能性があるとして食品添加物に採用されていない。だからこの物質を認可したのは日本政府だけで、体内に取り入れたのは日本人だけである。
 変異原性は遺伝毒性ともいわれ、遺伝子に変化を与え、遺伝病の発生にかかわる可能性があり、西岡名誉教授は「AF-2の強い変異原性は、日本人の遺伝子にかなりの傷を刻み込んだはずだ」と述べている。
 発ガン物質の影響は10年から15年以上遅れてあらわれ、その後しばらく続くと考えられ、日本人のガンは昭和56年には死因の1位になり、その状況はいまも変わらない。
 「AF-2は壮大な人体実験だったといえるのである」「現在の日本人のガンとAF-2の摂取とが、無関係といい切れるだろうか」と西岡名誉教授は疑問を投げかけている。

 「便利さを求めるがゆえに招いた」という意味では、今回の中国餃子毒入り事故もその原因は同根なのではないかと思う。
 「AF-2」の問題が表面化した時、だれもが「知らないうちに、危ないものを食べさせられている」とショックを受け、たちまち全国各地で食の安全性を求める消費者運動が起こった。 現在の消費者団体の多くがこの時に誕生しているものなのだそうだ。
 今回の事件で再度食品の安全を問い直すとともに、40%を切ってしまった食糧自給率のあり方も含めて食のあり方そのものを真剣に考える契機にしたいと思う。

 それと、話は別になるが、1月、薬剤肝炎訴訟で、終始一貫決してぶれることなく毅然たる姿勢で臨んだ女性たちが国の謝罪を引き出した。
 「世の流れが大きく変わり始めているな」とつくずく実感させられた出来事だった。
 厚生労働省は全面謝罪に強く反対したそうだが、国は被害者に謝った。というか、謝ることができてよかったのである。そうした機会をつくってあげた彼女たちは立派だったと僕は思う。

2008年2月1日金曜日

“女性作家漬け“の1月を終え、いざ書評!

 ひさしぶりに本の話。
 最初にお断りしておきたいのは、この手の書評ですので、かなり独断と偏見というか、そのかたまりのようなものなので、たとえ好きな作家とか作品について失礼なことを言っていてもサッと読み流すなどご容赦ください。

 ここ数ヶ月、「小説」を集中して読んでいなかったので、「年明けの1月は今まで読んでいない若手女性作家を読もう」と決めて読み始めた。
 「若手」といっても文壇ではデビューが遅いとそう呼ばれるらしいので、実年齢ではないということでご了承を。

 4、5年ほど前にも男性作家を読む機会が多いため女性作家だけに限定して当時の若手作家を中心に意図的に読んだ時期があったのだが、この時はすんなりとハマってしまい、まるでお見合いにでもいくような気持でドキドキしながら書店に足を運んだものだった。 
 現実にはお見合いはしたことはないので想像の世界を勝手に膨らませているんだけど、前回は、好みも趣味もぴったりと合って話題は盛り上がり、意気投合して2ヶ月間ぐらい毎日会う関係になった“女性(作家の作品群)”もいた。

 ということで、今回もそんな過去の体験を思い浮かべながら楽しみに読み始めたわけだが、
 結論からいうと、残念ながら前回ほど“ときめく出会い“はさほどなかった。

 1月に、読んだ作家と作品は以下の通り。
 恩田陸「図書館の海」
 瀬尾まいこ「幸福な食卓」
 藤野千夜「彼女の部屋」
 小川洋子「偶然の祝福」
 角田光代「対岸の彼女」「トリップ」「今、何している?」
 絲山秋子「袋小路の男」
 

 作品の選択があまり良くなかったということもあったかもしれないが、
 恩田陸は文章のリズムに合わせられなかったため、瀬尾まいこは女性らしさ以前の女の子らしさが 強すぎる作風に上手についていけず、両作品とも挫折しそうになるのをこらえて読了するのがやっとの状態だった。
 恩田さんには「夜のピクニック」というその年の本屋大賞にも選ばれ、映画化もされた作品があるのは知っていたが、タイトルにひかれてこちらを読んだのがよくなかったのかもしれない。
 瀬尾さんは市川拓司の「いま、会いにゆきます」の系譜かなって感じ。「映画化はしやすいだろうな」と思ったら友人いわく映画になっているらしいとのこと。この2人、今のところはよほど何かのきっかけでもない限りもう読むことはないと思う。

 藤野千夜の「彼女の部屋」は、まずまず読めた。けれど、良くも悪くも収まりがいいだけの感が強い。同じ系譜でもっと腕の立つ女性作家が数多くいるので、存在感を示すためにも何かもうひとつ必要な感じがした。

 角田光代の「対岸の彼女」はかなりおもしろくて集中できたため職場への行き帰りで読み終えた。ただ、次に読んだ「トリップ」はリズムが冗長で、期待はずれ。エッセイの「今、何している?」は、自分の中で作者に思い入れもできていないのに手にしたことがよくなかった、と反省。

 小川洋子は文章のうまさに驚いた。この作品については、プロットにちょっと懲りすぎているような気がしたけど、これから他の作品も読んでみたいと思う。

 最後に、絲山秋子。今回、読んだ中では僕はこの人の作品が一番おもしろかった。「袋小路の男」は学生時代のあこがれの先輩と大学進学、社会人になっても肉体関係なしに離れられずにつきあい続ける女性が主人公の作品で、1人称と3人称でそれぞれ書かれていて点もおもしろい。
 北方謙三に「棒の哀しみ」という好きなハードボイルド小説時代の作品があって、この作品もやはり1人称、3人称で別々に書かれていて、20年ぐらい前に読みながらその臨場感に引き込まれたことを覚えている。

 というわけで、角田さんの「対岸の彼女」は読んでも損はしない作品、
 お薦めは絲山さんの「袋小路の男」という個人的結論でした。


 ちなみに数年前に読んだ時の顔ぶれは、
 山本文緒田口ランディ川上弘美江國香織諸田玲子だった。

 この中で当時、一番ハマった女性作家というのが山本文緒。この時期、読みたい作品を後回しにして山本作品を既刊本10作品以上一気に読んだぐらい深い入りした。
 藤野千夜、角田光代はうまい作家だと思うけど、この山本文緒と同じ系譜にあるように思うし、そうなると山本文緒の方が力量は今のところ数段上のような気がする。
 ただし、熱が冷めてしまうその後新刊を読み続けていこうという気にならなのは、のちほど書くが、自分が求める”何か”が足らなかったのかもしれないなと思う。

 江國さんはエッセイがとってもうまい。女性の繊細な感性が飛び出ているのがみえるような気がする。
 田口さんもエッセイの能力が高く「ひかりのあめふるしま 屋久島」を読んで、「あー、2回も屋久島に行ったのに、行く前に出会いたかったー」と思わず叫びそうになった。

 諸田さんは時代小説を書いているが、「お鳥見女房」シリーズはとにかく最高。胸の底がジーンときます。「女・池波正太郎」になるのはこの人だ!と僕は勝手に思っている。

 5人の作家の作品でもっともぶっ飛んだのは、川上さんの「センセイの鞄」だった。すごい作家が出てきたものだと感嘆した。でも、そのほかの作品を読んでみたどれも驚くほど肩透かしをくらう。しばらくしてそれが川上さんの本来のスタイルで、「センセイ・・・」は実験的作品だったということがわかりそれ以降読むのをやめた。

 ちょっと前に、本好きの友人とメールでやりとりしながら、
「心に残っている好きな作品には何か共通点があるのかなー」と考えていて、
「読んでしばらく時間がたても、自分の中に『余韻』があるからだ」ということに気づいた。

 今回、新たに若手女性作家を読んでいて気になったことは、ちょっと愛情が薄いんじゃないかということ。
 かなりサラリとした感情の動きの登場人物が多いことも共通している。
 露骨に愛情を表す必要はもちろんないんけど、哀しみや切なさのような感情も含めて「愛情」が希薄だとちょっとサビシイ。

 スマートな文体かつ愛情織り成す作品という意味では、今も元気で書いている作家のうちからあげると、吉本ばなな(現在は、よしもとばなな)「アムリタ」がもっとも印象深い。

 そして、女性作家「余韻ナンバー1」は以前も書いたとおり、やはり「向田邦子」であろう。